「今日の一曲」の第25回目。久し振りの更新になってしまった。2週間ぶりだね。
今回は、シベリウス作曲の「交響曲第2番」を紹介しながらになる。
手にしているLPレコード盤は、カラヤン指揮のフィルハーモニア管弦楽団(当時の名)演奏で、1960年録音のものを1977〜1978年当時の最新技術で再販したものだ。
十代後半から二十歳を迎える頃まで、何十回と、このレコード盤に針を落としたことだろうか。本当に随分とお世話になった。
これまでの「今日の一曲」にも書かせていただいたが、丁度この頃は、様々な音(サウンド)や楽曲・音楽スタイルが生み出されて、最も音楽が満ち溢れていた時代であった。若さもあってか、こうした進化・発展し続けるポップス、ロック、ジャズ、フュージョン、テクノ、・・・とあらゆる音たちを興味もって聴いていた。また、振り返ると、こうした音たちを聴くことができたことが、とても幸運に感じる。
が、何かと自身の精神に関わる出来事とともにあったのはクラシック音楽だったように思う。
中でも、今日紹介のシベリウスの「交響曲第2番」は一番にそうだった。
なぜ、「シベリウス」なのか?「交響曲第2番」なのか?この盤を購入したときのことは、まったく記憶にない。
確かに他にも北欧系の作曲家やその作品に少々の興味がある方ではあるけれど・・・。???
「今日の一曲」では、あまり楽曲についての蘊蓄などは語らないようにしているが少しだけ触れてみるよ。シベリウスは御存知かと思うがフィンランドの作曲家だ。最も代表的な作品は、交響詩「フィンランディア」。フィンランドの人々が「第2国歌」と称賛するほどの曲だ。
だが、この曲でもなく、今日紹介しているのは「交響曲第2番」だ。
「静けさ」と「優しさ」が徐々に拡がり、「大きさ」と「力強さ」へと、そのスケールの雄大さと、確固たるエネルギーを、この楽曲からは聴くたびに感じる。おそらく十代後半の私もそう感じていたに違いない。
さて、自身の想い描いた通りには必ずしも物事は進まない。今なら自身の「感情をコントロール」して、そうそう簡単には「心が折れたり」もせずに、「次へと進む」こともできるのだが、中学生、高校生の頃はまったくもって情けないほどに未熟だった。小学校入学以来、学校のお勉強が10年半の間お馬鹿であった私も、その後は人生を見直す出来事があって、「生きる日々の総てを無駄にしない」と決心して大学へも進学するが、なかなか生きるにはそうは簡単でもなかった。思考も精神もまだまだ未熟であったことは変わりなかった。
そんなでもあって多感な年齢の頃だ。「心が折れそう」、いや、「心が折れた」ということが度々起きていたように記憶している。
そんなとき、このLPレコード盤をレコード・プレーヤーに置き、ゆっくりと針を落とすのだった。
第1楽章と第2楽章は「まあ、静観して見つめ直せよ。」と。第3楽章は「はい、はい、顔を上げてそろそろ前を見ようか。」と。そして、第4楽章からは「少しずつ、でも力強く、確りと、歩き出しみろよ。」と言われているかのように感じるのだった。
カラヤンの指揮がやや速めのテンポでもあり、当時のフィルハーモニア管弦楽団の冷静かつ豊かな響きも加わって、余計にそう感じたかも知れない。
未熟な若き10代後半を、支えて前に歩ませてくれた一曲、シベリウス作曲、「交響曲第2番」を、「今日の一曲」として紹介させていただいた。
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