「今日の一曲」の第35回目。
懐かし過ぎる“7インチ・シングル盤”のここから、今回は、ある一枚を紹介させていただこうと思う。
第30回目(2017/05/04)では、ヴィセンテ・ゴメスの「禁じられた遊び」、第31回目(2017/05/09)では、ヴィクター・ヤングとシンギング・ストリングスの「エデンの東」と、叔父から借りたままになっている50年代後半〜60年代前半の“7インチ・シングル盤”からこれらを紹介した。今回はそこまで古く、またレアなものではないけど・・・。
小学5年生のときだ。
両親からの月々のこづかいで、初めて自分だけでレコード店へ行って買ったレコード盤だ。
当時、クラシック音楽などのLPレコード盤は現在よりも全般的に高価だったので、ましてや小学生には高価過ぎる品でもあって、母の許可をもらってからでないと買えないルールになっていた。まあ、小学生の頃は大抵は母と一緒のときでないと買わせてもらえなかった。
が、シングル盤(7インチ・シングル盤)は当時500円(この少し前は300円)で買えて、更に小学校の高学年にもなったこともあって、「レコードを買うよ」とだけ言っておきさえすれば、シングル盤に限り、自分で買いに行って良いことにルールが改訂されたというわけだ。
とは言え、月々のこづかいも500円だったので、2〜3ヶ月分は貯めてから厳選して(笑)買いに行った。
で、その記念すべき初めて自分で買いに行ったシングル盤のレコードというのが、70年代前半のフォーク・ユニット「青い三角定規」の「太陽がくれた季節」だ(上の写真)。
まずは、特にお若い読者に向けて・・・「青い三角定規」について簡単にご紹介しておこう。
西口久美子(ジャケット中央)をメイン・ヴォーカルに、岩久茂(ジャケット左側)、高田真理(ジャケット右側)の3人で構成されたフォーク・ユニットだ。作曲家いずみたくのプロデュースによって1971年に結成。
このレコード盤に収録された「太陽がくれた季節」では、後々に知ったことだが、ミリオンセラーにもなって、1972年の日本レコード大賞・新人賞を受賞。同年末のNHKの紅白歌合戦にも出演したらしい。
今、ジャケットの裏面をあらためて眺めていたら、作曲がいずみたく、作詞が山川啓介、・・・で、驚いたことに、編曲が「松岡直也」とある!
たった今の今まで、知らなかったぁ〜!
前回、第34回目で、20歳過ぎた頃に出会った音楽として「松岡直也」の曲を紹介したばかりで、この偶然!
・・・イヤイヤ何だか少し恐いなぁ〜(笑・汗)。
さて、当時の小学5年生の選曲によって何故にこのレコードを買うに至ったかは・・・、これが記憶にないのだよ〜(汗)。
「太陽がくれた季節」はドラマ「飛び出せ青春」の主題歌でもあったので、それでなのか?・・・ん〜、でも、当時、タイムリーにこのドラマを観ていた記憶はない。再放送を観て、「このドラマの主題歌だったんだぁ〜」と思った記憶の方がある。
小学校のクラスなどで流行っていたということも明らかにない。
流行っていたのはローラー・スケートだけだ。男女問わずクラス全員がローラー・スケートを持っていた(スゴイ現象でしょ?)。
きっと、「初めて自分でレコード店へ行って買ったのだ」という記憶ばかりがあまりに大き過ぎて、他の記憶が吹っ飛んでしまったのだろう。40年以上前の出来事でもあり・・・(汗)。
ともかく、自宅から歩いて20分ほどの地元のレコード店に買いに行った。物静かそうなオジさんが一人で開いているレコード店だ。
レコード店から自宅に帰ってきて、早速、プレーヤーに盤を乗せて針を置いた。鳴り出した最初の瞬間から、その音に、ワクワクして興奮気味に聴いた記憶が鮮明によみがえってくる!
金額にしたら2〜3ヵ月で500円分だけのことなのだが、「大きな自由を獲得した」ような感覚がそこにはあって、「太陽をくれた季節」の歌詞の世界とも重なって、それで、ワクワク、興奮して聴いていたのかも知れない。
・・・ と、すれば、小学5年生のこの選曲も、なかなか好かったのではと納得できる(笑)。
年齢を重ねて大人になるにしたがって、手にしている自由や幸せにさえ鈍くなってはいないか?・・・と、ふと、考え直させられる。
初めて自分で買ったレコード盤は「自由」を感じさせてくれた一枚なのだとも思う。当時の小学5年生に自覚はなくてもね(笑)。そんな青い三角定規の「太陽がくれた季節」を、「今日の一曲」としてご紹介させていただいた。
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