今日の一曲 No.56:ムソルグスキー作曲 組曲「展覧会の絵(ラヴェル編曲版)」

「今日の一曲」の第56回目。

 

展覧会会場に入ると、最初の作品に出合うまでのしばらくを、トランペットの厳かな響きが「プロムナード」としての旋律を奏で演出する。また次の作品までの間を、変奏された別の「プロムナード」が繋ぐ。

・・・モデスト・ムソルグスキー作曲、組曲「展覧会の絵」、モーリス・ラヴェル編曲のオーケストラ・バージョン。

 

中学2年生のときに、ようやく手にした盤は、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、1965年に録音がされているLPレコード盤だ(1970年代前半にリマスターされた盤だとは思うのだけれど・・・)。

 

さて、つい、3週間ほど前、知り合いから招待状が届いて、「美術の祭典・東京展(第43回)」が開かれた東京都美術館(東京・上野)へ行ってきた(2017/10/26のブログに詳細を記載)。

 

「展覧会」、「美術展」というと・・・、

 

小学生の低学年で既に、学校のお勉強に不向きなのか、通知表には「アヒル(5段階で2)ばかりを並べてっ!」と両親からよく叱られていた。手先も不器用で図画工作にしても自分のイメージしたものに近づくことがない不器用さだった。

比較の対象になったのは妹。

ハキハキと喋って、明るく元気、小学校・中学校での成績も優秀。手先も器用で、図画工作(美術)や家庭科の裁縫等でも、校内の優秀作品として選ばれて、地域もしくは都内の展覧会などによく展示されるのだった。

それを、その度ごとに観に行った。兄として・・・。

「妹さんは色々とご活躍ねぇ~、お兄ちゃんも頑張らないとね」と、親戚の家、学校や近所の大人たちが掛けてくれる言葉は励ましのようには聞こえない。ただの決まり台詞のように捉えることにしていた。

むしろ、自慢の妹が褒められているのだと・・・。

 

・・・で、この文字と言葉の響きは、どうしても、先に、小学生から中学生の頃のこうした情景を想い出させる。

 

美術館を廻るなどは大好きと言っていい。

とくに、大学生になった頃からは、アルバイトなどもして自分でお金を貯められるようになると、美術館だけではなく、博物館も含めて上野には2~3ヶ月に一度は出掛けるほどで、社会人になってからも年に一回くらいは愉しむ場にした。

 

卑屈な感情の方が勝たずに済んだのには、小学校3年生のときのクラス担任の先生がくれた言葉が、ずうっと胸裏に支えとしてあったからだ。

 

「図工」の授業中のことだった。

水彩絵の具で絵を描いていた。うっかり、塗ろうとしていた色とはまったく違う色の絵の具を、描いていた画用紙の上に落としてしまった。

しかも、雪景色の背景を描いているところに黒か藍色系の濃い色をだ。

「あっ!」

「もう、失敗だぁ~」

「はじめから描き直しだぁ~」

自身への愚かさと怒りとが入り混じったように、明らかに毒を含んだ口調で吐き出した。

すると、先生が、目をいつもよりも大きく見開いたかのような表情で急ぎ席に近づいて来た。背後から暫らく静かに画用紙上に起きた状況を眺めていた。

が・・・、

『失敗なんてないの!』

と強い口調で言い放った。

クラス中の人が、きっと、皆が、こっちを向いた。

先生はパレット上に数種類の色を並べてから少しだけ水を含ませた筆にそのうちの一色だけをそっと付けて、その絵筆を私に持たせた。

絵筆の運びを指示されるのだったが、それがとても丁寧だった。

絵筆を持った方の手を包むかのように初めのうち時折先生の掌が重なって、その加減を伝えてくれる。

頃合いを視ながら、先生は再び、パレットに出した色から具合良く筆に色を付けては僅かに水で湿らせたその絵筆を私に持たせて絵筆の運びを指示する。

先生の必死さが伝わってくるようで、私自身、自分も必死に絵筆を運ばなければと思った。

同じような作業が、でも、少しずつの変化を確かめながら繰り返された。

・・・

奥行のある色合い深い雪景色の背景を伴った絵が仕上がった。それは嬉しくなるほどの出来栄えだった。

 

以来、絵を描くのが好きになった。

好きになると、自ら工夫しようという気持ちも芽生えたのか・・・。

不器用な手先は、小学校入学と同時に、1・2年生のクラス担任だった先生から元々の左利きを無理やり右手で使うように強制されていたからでは?・・・と疑いはじめて、図工や体育の時間などは、右手も左手も作業や動作に応じて勝手に使おうと自分で決めることにした。それからは、苦手なほどではなくなっていった。

小学生の高学年の頃には、音楽の他にも、図工(美術)と、あとは体育は、自身の中では得意科目の方になりつつあった。・・・妹には敵わないにしても・・・。

 

ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」という楽曲に出会ったのも、そんな小学校の高学年、5年生ときだった。

既に好んで習慣的に視聴していたテレビ放送のクラシック音楽番組でだった。原曲であるピアノ独奏の「展覧会の絵」が映像とともに流れた。そのピアノ演奏が凄まじいほどのテクニックだということは少し見入っただけで理解できた。迫力と威厳をもって、この耳と目に飛び込んできたのだった。 

「すげぇ~!」

(この楽曲との出会いについては、第14回目(2016/12/28)に同様な記載で、イギリスのロックバンド「ELP」の「展覧会の絵」をご紹介しながら書かせていただいた。)

 

10作品の絵画をイメージして表現されたこの楽曲に直ぐにハマっていった。こうなると、放課後、学校の図書室を何回も利用し続けて調べ尽くすのだった。これも小学3年生のときから身に着けさせてもらった習慣が源にあったからだ。たとえ、学校のお勉強はダメでもね・・・。

モーリス・ラベルによるオーケストラ・アレンジの「展覧会の絵」があることも、このときに知った。

「オーケストラ作品の「展覧会の絵」も早く聴いてみた~い!」

「ん~、レコード盤で欲しいなぁ~」

と、憧れのような想いも湧く。

他に、建築家であり美術家であったヴィクトル・ハルトマンの死を悼んでの作品だったことも知った。あとは、密かに政治批判的なメッセージを含んでいたのでは?・・・などという説は、当時はまだ意味不明な事柄ではあったけれども、「サスペンスドラマか・・・」といった解釈で興味を掻き立てられるのだった。

 

月々のお小遣いを貯めながら、これだと思えるレコード盤にも出会い手にしたのは、音楽と美術と体育だけは優秀な成績の中学生になれた?・・・妹には到底敵わないにしても・・・(笑)、そんな、中学2年生のときだった。

 

 LPレコード盤をプレーヤーに乗せて針を落とす。

プロムナードの旋律とその変奏によって、10作品の絵画、一作品一作品が音で表現されて繋がれていく。ピアノ独奏とはまた異なる別次元の新たなイメージを生み出して聴こえてくるのだった。艶やかさ、奇妙さ、恐ろしさ、滑稽さ、ダイナミックさ、・・・すべてがそうで、感動的でもあった。

当時の中学2年生が眺めていた10作品が具体的にどんなふうに映っていたかまでは想い出せないけれど、きっと、神秘にも満ちたワクワク感満載の展覧会会場であったにちがいない。

 

すでに、この頃、自慢の妹は、将来を美術の道へと歩むか、それとも獣医師の道を目指すか、2つのうちの1つと決めていた。

その兄は・・・、

「将来・・・って?」・・・(苦笑)。

 

ただ・・・、

『失敗なんてない』・・・それが全てではないにしろ、粘り強さから何かを見出したり、事を成し遂げたりできる・・・そんな実感を少しずつ身に刻み込んでいた・・・のかなぁ~。