今日の一曲 No.60:ワーグナー作曲 歌劇「さまよえるオランダ人(全曲)」(カイルベルト&バイロイト祝祭劇場合唱団・管弦楽団、他)&さだまさし

「今日の一曲」シリーズも、今回で第60回目、60枚目の盤とともにご紹介することになるわけだけれど、歌劇曲は初めてです。

 

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ライヴの中盤頃だろうか、バイオリンのソロでその演奏は始まった。

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今から思えば

貴方がワーグナーの

シンフォニーを聞きはじめたのが

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何故ならそれから

あなたは次第に

飾ることを覚えたから

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当時は大学生で4畳半一間の部屋を借りて生活をしていた。

その部屋に大の字になって寝転んでは天井板の木目をぼんやりとした視線でなぞりながらFMラジオを聴いていた。

そこに、さだまさし、「交響楽(シンフォニー)」が流れてきた。『さだまさし、東大寺落慶法要ライヴ』の中の一曲として・・・。

事前のエアー・チェックで、ライヴすべてが放送されるというので待ち構えるようにして部屋に籠っていた・・・1980年の秋のこと。

さだまさしファンには申し訳ないけれど、当時、それまでは、シングルカットされた曲くらいしか存じ上げていなかった。それでも、このライヴはラジオ越しながら、とても面白く、深い興味へと誘(いざな)ってもくれた。

 

ところで、「ワーグナー」というと、やはり歌劇曲という印象が中学生くらいときからあって、それも、フル・オーケストラを存分に響かせ、華やかさに留まらない「豪華絢爛」と「威厳」を併せ持った音楽という認識でだ。だから、さだまさしの「交響楽(シンフォニー)」の歌詞にあった「ワーグナー」が、これと直ぐに結びついた。

ただ、幼少の頃から大抵のどんな音楽も面白く聴きながら育ってきたはずが、唯一、歌劇(オペラ)のセリフを兼ねた何やら大げさな歌いっぷりだけは、どうにも身体に染み入ってこないのだった。加えて、歌劇をまともに聴くとなると2時間半から3時間は要するが故に、腰を据えてそれだけの時間を割いて聴くことの機会も経験もなかったからだろう・・・、結局のところ、歌劇だけは幾分離れたところにその存在を置きっ放しにした。

 

8年くらいが経過。

社会人として仕事にもそろそろ自信をもちはじめていた。多少の波風が立っても狼狽えることもなく、ほとんど「恐いものナシ」になりかけていた。・・・現在から思えば、これも愚かなことなのだけれど・・・(前回、第59回目の前半に記したのとほぼ同じ頃のこと)。

 

そんな頃、時折ふと、いや度々、脳裏に、さだまさしの「交響楽(シンフォニー)」の例の歌詞とフレーズが、何故だろうか、繰り返されるのだった。

同時に、

<傲慢になっていないか?>

<何か見失ってはいないか?>

などと、僅かながら胸裏を過ぎる(よぎる)ものを感じるのだった。

が、それは、すぐに消えて無くなった。正確には自らが打ち消していたのかも知れない・・・。

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こんな脳裏や胸裏で起こる現象と並行するかのように、ワーグナーの音楽を、歌劇を、じっくりと聴きたいという思いが突如として湧き起こってきた。そして、その思いはますます膨らんでいく。・・・何らかの繋がりでなのか、あるいは無関係なのか、ともかく、時期としては重なった。

重なるときは重なるもので、このタイミングで、やはりワーグナー作曲の歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー・全幕(小澤征爾指揮)」がテレビ放映されて、それを視聴する機会を得た。

<スゴイ、面白い!>

音楽だけでなくて、舞台装飾、衣装、演出も、

<まさに総合芸術だ!!>

と、初めて歌劇なるものに感動する自分を知った。

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すぐに、市販のビデオ(当時はVHS)を当たってみたけれど販売はされていないようだった。レーザーディスクでなら幾つかはあったものの高価でもあり、プレーヤーは更にとんでもなく高価で・・・<ムリ>。

映像も伴ってこそ楽しめる歌劇とは思っていたのだけれど、そこは諦めることにした。

それで、(これまでも何度も登場している例の・・・)自宅近くの物静かそうなオジさんが一人で営むレコード店へ行って相談した。小学生の頃から通うレコード店だ。

オジさんは面倒な顔ひとつせずにレコード店用のカタログで調べてくれた。まあ、一見して店は暇そうでもあったのだけれど・・・(失礼しました)。そのうちに幾つかのLPレコード盤が候補に挙がった。

 

選んだのは、「さまよえるオランダ人」、LPレコード盤で3枚(6面)セットのものだ(上の写真)。

ヨゼフ・カイルベルト指揮、バイロイト祝祭劇場合唱団・管弦楽団、アストリッド・ヴァルナイ(ソプラノ:ゼンタ役)、ヘルマン・ウーデ(バリトン:オランダ人役)、ルドルフ・ルスティヒ(テノール:エリック役)、ルートウィッヒ・ウェーバー(バス:ダーラント役)、エリーザベト・シェルテル(メゾソプラノ:マリー役)、ヨゼフ・トラクセル(テノール:舵取り役)、ヴィルヘルム・ピッツ(合唱指揮)・・・による1956年録音で、1979年に再版されたLPレコード盤だった。

 

手にしたLPレコード盤、まず1枚目のA面に針を置く。

LPレコード盤3枚すべてを通して聴くとなると、約2時間半ほど掛かる。どうしても、盤2枚を聴いたところあたりで一旦停めて続きの3枚目を聴くことになったりで、盤を手にしたその日を含めて、以来、全曲を一度に通して聴くことなく、2~3回ほど盤に針を乗せただけで、あとはレコード・ラックに納めたままになった。身勝手な忙しさを言い訳にして。

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(更に、約19年の時を経て)

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2007年の夏、それは遂に2度目・・・抱えていた病気の症状が再度悪化して社会からリタイヤした。1度目よりも悪い状態で約1年半にも及んだ。かなり厄介な状況にも陥ってしまい、この間に多くを失った。まずは経済的なことが大きかったのだけれど、こうなると、それまで築いてきたはずの人間関係も、友人関係も、そして、家族までも・・・だった。(1度目にリタイヤした時の様子は、第52回目(2017/10/11)と第53回目(2017/10/15)に記載させていただいた。)

 

2008年の春を迎えて・・・

40代後半の年齢にもなって、今更、両親に甘えるというのはあまりに心苦しかった。だけれども、選択の余地はなく、実家の両親のもとで自宅療養を続けていた。

近所を15分~20分ほど散歩をしたりするくらいには回復していた。少し身体も動かせて、家の中で出来ることを何か探そうかという気持ちも湧いてくると、

<(部屋で)何か音楽を聴こうかな・・・>

という気持ちも少しずつ戻ってきた。

 

時間だけは十分にあった。

 

ある日、思い出したようにレコード・ラックから仕舞い込んだままになっていたLPレコード盤のセットを取り出した。

3枚のLPレコード盤・6面を、約2時間半、ノンストップで、じっくりというよりは、何も考えず、何も思わず、ただただスピーカーから鳴らされる音を新鮮な空気を吸い込むようにして、窓ガラス越しの春の日差しにも柔らかさを感じながら、・・・部屋のベッドで仰向けに横たわっては白い天井板の薄っらと描かれた模様をぼんやりとした視線でなぞりながら、流れてくるワーグナーを聴いていた・・・。

聴こえてくるワーグナーの音楽が、「豪華絢爛」や「威厳」というので留まるのではなく、「あたたかさ」と「豊潤な包容力」をも更に併せ持って感じるのだった。

<もう少しだけ生きてみるか・・・>

胸裏で呟いた。

 

歌劇「さまよえるオランダ人」は、少々乱暴な例えで言うなら、日本の古典的な怪談噺のようでもあり、ディズニー作品なら「美女と野獣」を悲劇的にしたような物語でもあるのだけれど・・・、作曲者であるワーグナー自身は、『愛による救済』を大きなテーマとして掲げて創り上げた作品の一つであるということらしい・・・。