今日の一曲 No.75:ショパン作曲「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11」(ステファンスカ&ロヴィツキ&ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団)

「今日の一曲」シリーズの第75回です。

最近にふと思ったのは、人との出会いのそこには幸運が潜んでいる場合も割と多く在るのだなぁ、ということでして。が、私なんぞはこれに気付かず、想うより先に来る別れの瞬間のそれを迎えてから、あっ、と思わされるばかりで…、情けないことに、別れの何とも言えない寂しさのその最中に、幸運のこれを噛みしめているような次第です。

で、第75回の今回は、よく行くカフェで出会ったお婆さんの、この方のご冥福をお祈りしつつ、私が大好きな盤とここに収録された一曲のこれを取り上げて、諸々語らせていただきたく思います。

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《いかに幸運で贅沢であるか》

私には、時に詞を書いたり曲創りなどをする場所として、都内に3ヵ所ほど、こんな勝手を言い訳にいつも長居をさせてもらっているカフェがある。それは当然、これら店のマスターのご厚意があってこそのことで、私なる者が他よりも何らか優ってそうさせてもらっていることでは決してない。が、恐縮ながら、私は、ご厚意のこれによって、たいへん助かっている。もちろん、そもそもが美味しい珈琲と併せてでなければこれも成立しないわけで、私自身も、こうして居られる時間と場所の在ることが“いかに幸運で贅沢であるか”を十分に自覚しているつもりだ。

 

特にだ、3カ所のうちの一つ、そこのカフェへは割と頻繁に…1ヵ月に一度か二度くらいかな…通っていてね、ほぼその度に、図々しくも私は私のその勝手をさせてもらっている、という次第なのだなぁ。

ところが、2ヶ月半くらいだろうか、そこへと行くのが少しの間だけ空いたのだよね。で、2ヶ月半ぶりくらいに訪ねて行ったそれというのが、2週間ほど前の…2月の終わり…ことで。

店の入り口、幾つかの四角い小さな透明ガラスがはめ込められた木製のドアの、その取っ手を引くと、チリン、とドアの上部に付いた可愛らしくもあるベルがこれに合せて鳴って…。…あっ、先に私はこの店のことも含めて“カフェ”と言ったけれども、ここは“喫茶店”といった風のややレトロな感じがする、そうした店だ。…すると、店の奥のカウンターの内で忙しくあれやこれやと色々用意をしていた様子のマスターも、このベルの音で、こちらを向くのだった。

「いらっしゃい。あれ? 久しぶりだね。いつもの…ブレンドでいい?」

この日もマスターはいつもと変わらず迎え入れてくれた。いや、このときは、私がいつも座るカウンター席のそこに着かないうちから、だったような…。

私はカウンター席のそこに座ると、いつもの通り、店内をゆっくりと見渡した。同時に、静かめの丁度好い加減の音量で流れてくるクラシック音楽のこれに耳を澄ませた。

選曲はどれもマスターがご自身でされているそうだ。店内には年代ものの貴重そうなスピーカーが壁の高いところに埋め込まれていて、手のひらサイズくらいの小さめのスピーカーなのだけれど、これが絶妙ってなくらいに心地好い具合の音と響きを鳴らしてクラシック音楽のそれを聴かせてくれているのだ。

「はいよぉ~、お待たせ」

淹れ立ての、ブレンド・コーヒー。先ずはそっとほんの少し、一口だけ味わう。はぁ~、好いねぇ、美味しいぃねぇ。

まさに、“こうして居られる時間と場所の在ることがいかに幸運で贅沢であるか”だ。

 

《お婆さんとの音楽談義》

ところが、マスターは何やら私に知らせたいことがあって、この瞬間を待っていたらしいのだな。私が一口味わう、その様子を見届けると直ぐに話を始めた。

「あの婆さん、……」

私は

「えっ?」

と返すだけで、その後の言葉が出てこなかった。

・・・・

『次に会えるかどうか分からないからさっ! 言うんだけど、あなたも簡単にくじけないで頑張りなさいよ!』

別れ際だった。私にそんな言葉を掛けてくれたお婆さんのその背中を見送ったのは、このカウンター席で二人並んで珈琲を味わいながら楽しい音楽談義を交わし合った後のことで。そう、昨年末のことだった。

お婆さん、というのはここのカフェの常連さんで、お琴のお師匠をされている方のこと。しかも、代々に渡って伝えられているお琴のその伝統技術を受け継いでいかなければならない、そんな家系に生まれた方らしいのだ。

それが、戦後の昭和という時代では幾分か前衛的なお琴の師匠としても活躍。大勢のお弟子さんを抱えながら伝統的な技のそれを伝授するのと併せて、当時の歌謡ショーやテレビ番組企画においてあった、流行の演歌や歌謡曲に邦楽楽器を取り入れるそうしたアレンジが求められるときには、先ずはこの人に相談してから、という存在であったらしい。が、演歌や歌謡曲に邦楽楽器を取り入れるというこれには、当時、土台となるものが何ひとつ無かったから、歌手のバックで演奏するバンドの譜や音を基に、自身で思索を重ねる外なかったという。お琴や他の邦楽楽器をどう効果的に使えば好いのか、また完成したらどう譜に残すのか、といったことの様々難問もあって、あれこれと難しいこれらとも向き合いながらだったようだ。

そんなことで、心身ともにゆっくりと休めたいときは、どうしても、クラシック音楽など、こうしたものの方が聴きたくなるのだそうで。そのうちに、ご自身の根っからの性分もあって、そのクラシック音楽などにも詳しくなってしまったらしい、のだな。

とまぁこうした話を、私は、お婆さんが90歳を前にした4年くらい前から、このカフェで会えばその度に色々と聞かせてもらっていたのだ。

お婆さんとの音楽談義は他にも様々多岐に渡って在って。ま、大抵はクラシック音楽についてを話題にすることが多かったのだけれども、最近の音楽…JーPOPや洋楽のポップスやロックなど…についてのこれが話題になることもあったし、兎にも角にも、音楽を話題にしている限りは先ず以て事欠くようなことがなかった。一緒に話をしていては、もう楽し過ぎて、ついつい話が長くなってしまうんだな。そんな中、時折、お婆さんからは毒舌的な言葉も聞こえてくるのだけれど、が、そこには嫌味がなく、思わず微笑んでしまうようなユーモアもあって、もちろん、真を突いた深い話もあって、こうしたことの見事なバランス加減と話のその流れの好さには、まぁ恐れ入るばかりだった。何と謂うべきか、話っぷりのそこには常に品の良さ、「上品(じょうぼん)」というものが在って、詰まるところ、音楽への、音楽家やミュージシャンと呼ばれる人たちへのそれへの愛情がたっぷりで、お婆さん自身が愛情のこれに溢れているのだよね。

・・・・

マスターは、私が一口味わう、その様子を見届けると直ぐに話を始めた。

「あの婆さん、2週間くらい前に亡くなったんだよ。なぁ、誰も思わないよな、あんな元気そうでさぁ」

と。

私は

「えっ?」

と返えすだけで、もう精一杯だった。

 

お婆さん、確かにここ1~2年は足か膝かに痛みを抱えていたらしく杖を使って歩くようだったけれど、いやでも、顔に映る表情や巧みな話しっぷりのそれは、変わらず元気だった。

だから、一緒に暮らしていらっしゃった息子さん夫婦も、想いもしなかったらしいのだよね。

その日は本当に突然で、息子さん夫婦が外出していた少しの間に、ご自身の部屋で静かに眠るように…だった、そうだ。

 

「いつだって別れは想うより先に来る」というのは、ある映画の1シーンに出てくる台詞なのだけれど、いやぁホント、そうなのだよねぇ。

 

《遺言として?》

さて、唐突ながら、「葬儀には、ショパンの『ピアノ協奏曲 第1番』の第2楽章を一度流してくれるだけでいい。あとは火葬場にもって行ってくれ」とは、私が子どもたち(長女・長男)に伝えてあることだ。尤も、10年くらい前に何かのひょうしに一寸言っただけだから、言われた方は、さぁ、覚えているかどうか? ハハハ…。

 

その、ショパン作曲の「ピアノ協奏曲 第1番」に私が最初にハマったのは、中学生1年生のときだった。中学に入学して間もなくの頃に両親から毎月もらっていた小遣いを前借りして注文した、クラシック音楽全集・全20巻のLPレコード盤のそのうちの一枚に収録されていた、これを聴いてだった。

この全集、なかなか侮れない代物で。中学生のときに購入して以来、高校生・大学生・社会人へと年齢を重ねるにつれて僅かながらクラシック音楽といったこの類の音楽にも徐々に詳しくなってくると、この全集に収録されている演奏者たちおよびオーケストラの、これらに依る演奏の、その貴重さが分かってきたのだった。中学1年生ときにハマった、ショパンの「ピアノ協奏曲 第1番」のこれを収録した盤も、その例外に漏れず、なかなかのモノであるかと。

ピアノはハリーナ・チェルニー・ステファンスカ、指揮はヴィトールド・ロヴィツキで、ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団とに依って1960年頃に演奏された、これが収録されている。ショパンもポーランド出身、ステファンスカもロヴィツキもポーランド生まれ、オーケストラもポーランドを代表する交響楽団、とまぁ、ここに収められている全てがポーランドの音というわけなのだよね。加えて、ステファンスカは1949年のショパン・コンクールで1位になったピアニスト(ピアノの教本でも有名なチェルニーの子孫)だ。

 

そして、これを聴いた中学生の小僧(=私)は、以来、ショパンの「ピアノ協奏曲 第1番」を聴いていては、特に、第2楽章のこれにすっかり魅せられてしまったのだった。

もちろん、中学生のときに“魅せられてしまった”その感覚が、いま、そのまま明確に残っているわけではないけれど、これに関しては、恐らく、10代のそのときから、またそれは大人になってからも、いま現在に感じる感覚のこれとそうあまり変わっていない気がする。ゆったりと穏やかに流れる甘くどことなく儚く感じる旋律は、奥ゆかし気な中にも煌びやかなそうした音も所々に散りばめられていて、それがそっと静かな光を放つかのようでもあって、これが何とも喩えがたく心地好く感じるのだよねぇ。元よりピアノ曲やピアノ協奏曲にハマり易い、そうした傾向にある私めではあるけれど、それをたとえ少々余分に差し引いたとしても、この曲の第2楽章から受けるその感覚は他とはまた少し違う気がするのだ。いやぁ、呼吸がすうっとラクになるんだなぁ。

 

40歳少し手前の頃のことだ。…えっ、なら、現在は何歳かって? それは考えてはいけない(笑)。…その頃に、ショパンのこれを、生の演奏で聴く機会があったのだよ。それは少しズルイ感じがしないでもないのだけれど。

というのは、当時、小学生だった長女がピアノを習っていて、その通っていたピアノ教室の先生(責任者)のご厚意で、レッスンに通う子の家族のうちの何組かが、ある演奏会の、その本番前のリハーサルに潜り込ませてもらえることになって…。で、このときの演奏が、小林研一郎の指揮で、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団といった組み合わせで、ピアニストが?…ん~思い出せないのだけれど…、兎に角、これを聴かせてもらうことになったのだ。繰り返すけど、それも、ショパンの「ピアノ協奏曲 第1番」を、だよ。

(*ピアニストについては、最近も調べてみましたが、この演奏会に関する記述や記録が見つからず、確認できませんでした。でも、記憶違いということはないと思います)。

こんなラッキーがあっていいものか? とさえ思った。演奏がされている最中は、リハーサルとは言え、生の演奏を直接、我が身と我が耳とがこれを感じて聴いているわけで。いやいやいや、涙が溢れてきそうになるのを必死に堪えて聴いたのだった。一緒に居た、妻と長女も、とても感激してた様子だった。

 

それで、このときに決めたのだ。

私の葬儀には、これだと、ね。

遺言として遺すとしても、やはり、少し唐突か?

尤も、死んだ私がこれを聴けるかどうかは…、ぅん~、どうなのだろうね? なんだか聴けないようにも想うけど。死んだことがないのだから、分かるわけもないな。ならば、この世に残った人たちにあとはお任せすべきなの、カモね。

 

《いかに幸運で贅沢であったか》

さて、2ヵ月半ぶりに訪ねたカフェでも長居をさせてもらった。

その日、部屋に帰ってきてからの私は、早速、レコードラックから1枚の盤を取り出さないではいられなかった。

哀悼の意を、という思いだけでその盤を手に取った。

ショパン作曲「ピアノ協奏曲 第1番」。

手に取ったのは、やはり、ステファンスカと、ロヴィツキと、ワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団とに依る演奏の、LPレコード盤。

そして、第2楽章。

お婆さんの、ご冥福を祈った。

 

長寿国、日本。加えて、今や少子高齢化で、約4人に1人はご老人と呼ばれる人の世代が住む国だ。

ところで、歳を重ねた分のこれに相等するだけの知恵などをもって、若い者どもにその知恵を垂れることのできるご老人は、はて、現代においてはどれほど居るものだろうか。そんなことをふと思うと、この数十年においては、反って少なくなってはいないだろうか。敬うべき、そうした知恵をもち、反省とともに生きていらしている、そういった振る舞いのあるご老人は、最早むしろ希ではないだろうか。いや、そう言っている私めこそが、最も省みる必要のある、そうでなければならない者であるわけだけれど。

それにしてもだ、変化著しい社会のこの時代においては、歳を重ねてそれに相応しく老いる、というこれが、平均寿命が50歳代や60歳代だった時代よりも、いよいよ難しくなっているのかも知れない。

 

とすれば、カフェでお婆さんと出会って音楽談義を交わし合った、これこそが、“いかに幸運で贅沢であったか”だ。

更に謂えば、お婆さんのご冥福を祈るとは、この際、自分自身が自身の内を確りと見つめ省みる、ということかと。

 

「今日の一曲」シリーズの第75回、今回は、ショパン作曲「ピアノ協奏曲 第1番」を、ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ(ピアノ)、ヴィトールド・ロヴィツキ(指揮)とワルシャワ国立フィルハーモニー交響楽団に依る演奏を収録したLPレコード盤の、ここからこれをご紹介しつつ、諸々語らせていただいた。