「今日の一曲」シリーズの第86回です。
今回は、このところの第82回から第85回で語ってきた、その「夏」をテーマにした話題からは少し離れてしまいそうですが、前回の第85回からの続編的な内容でもあり、一応申し上げるならば、今回ここでご紹介する盤を手にしたのも、季節は夏でした。
そして、この盤との出会いには、ある人から「あなたは〇〇のような人だ」と言われた、そのことが元々は切っ掛けにあったわけですが。
では、そのあたりのことも含めて、今回も、シリーズ86枚目となる盤とそこに収録された一曲をご紹介しながら、諸々語らせていただこうと思います。
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《イントロダクション》
~前回(第85回)より~
桜の花の蕾もそろそろ膨らみ始めていただろうか、いや、それにはまだ若干早い、1998年の春先のこと。
私は、11年間勤めた職場を離れて、転職した先でもそろそろ5年目を迎えようとしていた。当時は、その勤めていた会社のある部署で、そこでの全権を担うリーダーとして2年が過ぎようとしていた頃でもあった。そして、この2年の間では、“最高のチーム”とも言える仲間と共に、現場において真に中身のある成果が上げられている、という確信をもちながら日々職務に当たっていた。併せて、会社が求める業績としても、かつてないような、それはこの業界で度々重視される数値や指標という意味ではあるけれど、良好な結果を出し続けている、といった自負も含めて、仕事の面では少々自信過剰気味に過ごしていた時期でもあった。
実際、経営のトップに位置する、社長や社内幹部の面々も、私が担う部署の成果、あるいは数字にも表れるそうした結果には満足気な反応を見せていた。それ故、当時の私は余計にそんなふうだったのだろうと想う。いまに至って振り返ると、愚かだね~。アハハ。
《なんで、あり得ない、だろ》
結局は、想い上がっていたのだよ。
社内では、「若きリーダーの登場ってわけだな」などと持ち上げられていたものの、所詮、単に甘ちゃんな、初心者リーダーでしかなかったのだ。蔭では、勢いづいて見えていたであろうそんな私ことを、面白く思っていない連中も居たのだ。そのことに私は気付かずにいた。
そして、事態は思わぬ方向へ。
この前年、会社は事業の拡大を狙って新しい部署を起ち上げた。私は、これを冷ややかに眺めていた。上手くなんていかないぞ、と。案の定、その新しい部署は、1年を経過した時点で何の目立った成果も上げられずにいた。社内では、ありとあらゆる面で苦戦を強いられている、との噂まで広まっていた。
そんなときだった。不意を突かれたように、まったく予想していなかった方向へ事が動いた。
「なんで、こういうことになるんだよ」
「まさか、だろ!」
と激しく叫びたくなるのを、どうにか胸裏に留めながら、が、聞こえてきたその言葉を冷静に受け止めることは決してできなかった。耳を疑った。
「人事異動・・・」
苦戦を強いられているその新しい部署への異動だった。新たなリーダーとして、事業の立て直しを図ること、それが命ぜられたのだ。これに併せて、2年間に渡って育て共にしてきた“最高のチーム”も、間もなく解散となった。チームメンバー一人ひとりが散り散りに各部署へと振り分けられていくのを、
「あり得ない」
と、独り、そっと呟くだけが精一杯だった。チームだけでも残すように、と幾度も会社幹部に掛け合ったのだけれど、それも叶わなかったのだった。
一方、この苦戦中の新しい部署は、その2年目にリーダーが私へと変わるだけだった。結果を出せていないメンバーはそのまま残留ということに。
「何をどう考えると、こうなっちゃうの?」
と思わず愚痴を吐きそうになる、が、これさえも馬鹿馬鹿しく思えた。何をどう喚こうとも、会社全体の人事を決めるのは自分でなはい。それよりも、社内における自身への逆風も感じるなか、この新しい部署を、さぁ、どうやって立て直していくか、これだけを考えようと心掛けた。
3月の中旬、前年のリーダーからの引き継ぎを兼ねて、実質、その苦戦中の新しい部署のリーダーに就いた。
引き継ぎの際にはメンバーたちの経歴なども確認させてもらった。が、驚き。なんともご立派な学歴をお持ちの方々が集まっているではないか。
すると、早速、現場で目にしたのは、チームワークの欠片もないということ。如何にも自分こそが頭脳明晰である、と謂わんばかりに他者の意見を論破する、こうしたことに快感を得ている様子だった。自分だけ、自身個人の能力を認めてもらいたくて、そうしたことのために仕事をしている感じだ。
「やれやれ。この人たちに、“共有”や“共同・協働”といったワードはないな」
とまたしても思わず吐き出したくなるこれも、どうにか自身の胸裏に留めた。
多少、時間を掛けてでも、“チームワーク力”を育てていく、これしかないと覚悟した。謂えば、具体的な目標として、これの他にはないと直感したのだった。
《何処で何をしようとも同じだ》
4月1日、正式に異動となったその初日、私はあらためて、メンバーを前に挨拶をした。
「私は音楽が好きで、クラシック音楽なども聴きます。オーケストラを指揮する指揮者には大きく分けて2つのタイプがいます」
といった話をしたのだった。・・・1つは、強力なカリスマ性を放って自分が意図するまま全てを指示するタイプ。もう一つは、メンバーがやろうとしている表現や意図を組み上げながらリハーサルを重ね徐々にまとめ上げていくタイプ。私は後者のタイプです。・・・と、まぁ、こんな具合に。
私が引き継ぎを兼ねてこの部署に入ってから既にこの日までの間、メンバーの中には苛立っている者もいた。
「新しい方針も、具体的な指示も、何も出てこないじゃないか」
などの言い分だった。が、私はこれを相手にしない。
「前年を踏襲する形で構わないので、引き続き各自、各々で進められることをしておくように」
といった指示だけを継続させた。ただ、こうした私の、メンバーへの姿勢は明らかにした方が好いように思った。それで、こんな話を混ぜて挨拶をしたのだった。とは言え、暫くは、悶々とした重苦しい空気がメンバーとの間に澱み続けた。
が、2ヵ月ほどすると、
「おっ、願っていた通りになってきたかな・・・」
といった展開に。
メンバー皆が、前年よりもここに何等か改良を加える、そうした工夫をし始めた。“頭脳明晰”というプライドが人一倍強い、こうした個々ばかりが集まった集団だ。2年目もまた結果が出ない、それはメンバーの誰にとっても、先ずはプライドとして許されないことだったのだろう。
加えて、メンバー互いの会話が徐々に変わってきた。
「オレの手掛けている、ここをこう変えたら改善するように思うんだけど、どう思う?」
「なるほど、それはイイかも知れない。私の方も、それに併せてもう少し工夫してみようかな」
などと、互いの案を持ち寄るようになった。ま、相変わらず、自身の案を自慢気に話し出す者もいたけど、他者の意見を論破しようなどという態度は消えていった。
肝心なこと、必要なこと、それは何処で何をしようとも同じだ。
集団で何等か目的を果たそうとするなら、先ずは、“チームワーク力”。そして、そのための最重要事項は、そこの場に“工夫を重ねる情熱と思考力”があるか、更には“ユーモアと笑顔”があるか、だ!
つまりは、かつて、あの尊敬する人(これまでの「今日の一曲」でも何度か登場している、以前の職場で出会った“もの凄い上司”)のもとで身に付けてきた、それを実践して繰り返し重ねていくこと。それに尽きるのだった。
(*ここで言っているのは、トップダウン式ではなく、どちらかと言うと、ボトムアップ式の組織作り・チーム作りになります。が、これも一寸ニュアンスが違って、この後、だいぶ時が経過して私自身も知るのですが、「チームセルフリーダーシップ」というものを重点にした組織・チーム作り、と言った方が近いように思います。)
《ブルックナーのような人?》
こうしてその年の夏には、新しい部署のここも、だいぶ和やかな雰囲気になって、チームワークらしき様子が度々見られるようになった。
そんな夏の、夜も9時を回ろうかという時間。残って仕事をしていたメンバーもそれぞれに帰宅しようというときだった。メンバーの一人が私に声を掛けてきた。
「あなたはブルックナーのような人だ」
と。
ん? はて? 私はどうにも反応できないまま、不思議そうな表情をその人に向けていたに違いない。が、彼はニンマリと微笑したような表情を浮かべて、
「お先に失礼・・・、お疲れ様でした」
とだけ言って帰宅してしまった。
その彼、知識の豊富さでは社内ナンバー・ワンと言ってもイイくらいの人であった。ちなみに、私と同年齢であるらしかった。年上に見えたけど。
それから数日後、仕事も休みの日。
「そう言えば、ブルックナーってあまり聴かないなぁ」
と思いながら、彼から掛けられたその言葉を反芻していた。
ブルックナーについては、FMラジオなどからその幾つかの作品を聴いたことがある程度だった。実家のレコードラックのそこに置きっ放しの、100枚以上あるアナログ・レコード盤とCDの中にも“ブルックナー”はない。
想い立ったら即行動。
例の物静かそうなオジさんが独りで営むレコード店、そことは違うCDショップへと向かった。・・・ぅん〜、例のレコード店へと向かわなかった、その理由は想い出せないのだけど。
CDショップに着くと、直ぐに、CDが数多く並ぶラックの、「ブルックナー」と記された表示版のその辺りを探った。
ブルックナーの作品が収録されたCDは10枚ほど並んでいた。その中に、この年の、1998年1月30日~2月1日の録音で、同年の8月に発売になったばかりの最新のCDを見つけた。巨匠・指揮者ギュンター・ヴァント(当時86歳)とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏、しかも、「絶対音楽」を代表するようなブルックナーの交響曲にあって、「標題音楽的」とされる「交響曲第4番『ロマンティック』」が収録されている、これが大いに目を惹いたのだった。
即決、ほとんど迷うこなとなく購入した。
自宅に戻って、早速、買ったばかりのそのCDを聴いた。そして、それからの1ヵ月ほどの間は、少なくとも3~4回くらいは繰り返し聴いただろうか。
弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器と、これらを総合したオーケストラの響きを、純粋に音としてその醍醐味を様々なアプローチと手法で味あわせてくれる、というのがブルックナーの「絶対音楽」であるらしい。とまぁ、音楽史においては一般にそう評されている、それくらいのことは学生時代から知ってはいたのだけれど。それが、実際にこのCDからも感じられると、想像していた以上にこれが心地好いのだった。もちろん、ヴァントとベルリン・フィルによる緻密かつ正確な演奏がこれを際立たせているのだろう、とも想う。
ここに収録された「交響曲第4番」は、ブルックナーが自身で唯一付けたとされる『ロマンティック』という副題から、その「絶対音楽」も、やや「標題音楽的」であるとされている作品だ。確かに、所々、時折、甘く愛らしいフレーズ感をもった旋律が聴こえてくる。このことかなぁ〜、と自分なりに勝手な解釈を加えながらこれを聴く、それもまた当時においては新鮮に思えた。
更に数か月経過して、晩秋のある休日。
当時、小学生低学年だった私の娘が、その日、読みたい(調べたい、だったか?)本がある、というので、一緒に図書館へと向かった。ついでに、と思った私は、ブルックナーの生涯について書かれた本を見つけ、それを借りた。
借りてきたその本に依ると、ブルックナーなる人物は、おおよそ、『音楽を論理的に探求し続けてきた人』、『一度完成させて発表した曲も、何度も訂正を加え、2稿、3稿と繰り返し、納得するまでその完成度を高めようと力を注いだ人』であったと謂う、こうした面が強調されていたように想う。
「なるほど・・・」
と思いながら、「あなたはブルックナーのような人だ」と言われたそれを再び想い出していた。
大枠となる枠組みや中心軸を決めておいて、取り敢えずは事を始めてみる。細かな枝葉の部分については必要に応じて後からでも修正を加えていけばいい。チームのメンバー一人ひとりの考え、あるいは自身が意図する方向、これらと現実的な実情・実態とを合わせながら、何度も繰り返し修正を重ねていって最終的な形(システム)に組み上げていく。要領のいい方法とは決して言えないけれど。
「こんな仕事のスタンスは、ブルックナーの創作と少し似ているカモ」
とその時は、そう解釈した。
《渡された手紙》
新しい部署のリーダーを引き継いで1年が経過した。また春を迎えようとしていた。
結果は、前年に比べて飛躍的に伸びた、らしい(苦笑)。
“らしい”というのは、先の冒頭でも記した通り、この業界で度々重視される数値や指標、社長や社内幹部たちが物差しにする評価で、自身はまったく納得のいく内容ではなかったからだ。現場における成果としては、いま一つ、という感じがしてた。
既に、会社は辞めると、決めていた。それも、ほぼ1年前には・・・。
あの“最高のチーム”を突然に解体されて何とも思わないほど、私は“お人好し”ではない。ん? “器の大きい人間”ではない、の方が正解か。兎も角、家族を養わなければならないから次なる働き先を探す必要もあったわけで、それだけだ。いや、理由は他にも色々とあったのだけれど、ただの愚痴になりそうだから語らないでおく。
出勤最終日。
「あなたはブルックナーのような人だ」と私に言ったその人から、彼自筆の手紙を手渡された。
帰宅途中の電車車内でその手紙を開けた。封を開けると便箋二枚に満たない短い内容だった。が、その手紙には、何んと! “ブルックナーのような人”これについての説明が書かれていた。説明に書かれていた中身は、今回は公表しないでおこう。
「へぇ~、そんなかなぁ〜・・・」
「それなら悪くもなかったのかな」
「こちらこそ、ありがとうございました」
と胸裏のより奥深いところで、手紙に書かれていたそれに返事をした。
車窓からの景色が滲んで見える。
「電車車中なんかで、読むんじゃなかったぁ」
柄でもない。
ハハハハハ・・・。
「今日の一曲」シリーズの第86回、今回は、ブルックナー作曲「交響曲第4番『ロマンティック』」を、指揮者ギュンター・ヴァントとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏(1998年1月30日~2月1日に収録)のCDからご紹介せていただき、併せて、これに絡めて諸々語らせていただいた。
*ご紹介のCDに収録された、ブルックナー作曲、交響曲第4番『ロマンティック』(ギュンター・ヴァント&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏)は、第1楽章~第3楽章は第2稿、第4楽章は第3稿の楽譜を基に、さらにハース版の楽譜にノーヴァク版の楽譜をところどころで採用して、演奏がされているそうです。
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