「今日の一曲」シリーズの第89回です。
さて、昨年の夏から今年1月に掛けての私は、“資料作り”に励む毎日で、独り部屋で、地味ぃ~に、黙々と、その作業を続けていたわけですが。これが結構しんどい。作業もどうも捗らない。そんなこともあって、私は、部屋に音楽を流しながら進めてみることにしたのです。すると、これには相性のイイ音楽もあって、私のその作業を助けてくれる、そうした音楽にはおおよそ傾向があることも徐々に分かってきたのです。そこで、今回は、先ず、その“相性のイイ音楽”を届けてくれた盤と一曲に焦点を当てて、ご紹介させていただきたく思います。
ところで、「今日の一曲」では、これまで88枚の盤とそこに収録された88曲をご紹介してきたわけですけれど、この中に“ビートルズ”の曲は一つもありません。ビートルズの曲が紹介されないのは何故か? 今回はそのあたりの理由についても初めて明かそうと思います。
では、その“資料作りに相性のイイ音楽”と“ビートルズが紹介されない理由”の双方に絡めて、諸々語らせていただきます。
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《さぼっていたわけではないよ》
昨年8月から今年1月末に掛けてのこの間は、それまでとは一寸ばかり違う生活をしていた。ろくに音楽活動もせず、だった。アハハハハ・・・。
何をしてたのか? っていうと、“資料作り”をしていたのだ。
もう7年ほど前からになるかな。教育や子育てについて、自分なりに探求している事あって。この7年ほどの間では、教育学、心理学、哲学、社会学、経済学などの各分野での研究成果や科学的理論などについても新しく色々と知った。
それで、この1~2年は、こうした学術的な探求と自身が社会生活を通じて経験してきたこれとを合わせて、そろそろ何等か形できたらなぁ、と考えていた。
そんな折、ふと、想い付いたのが、「教育を語りあおうよ音楽 Cafe-Barで(Vol.1)」という企画で、昨年の6月に初開催した。そして、このとき、この企画に合わせて用意したのが、「子どもたちの自立力育成を探求して・第1編」という資料だった。まぁ、でも、この「第1編」は、資料と言っても、私が口頭で説明する部分のこれを補足する程度のもので、謂わば、要点だけを並べたダイジェスト版だった。
すると、6月のその企画が終わった後、これに関して幾つか問い合わせがあって、中には、資料があったら欲しい、といったケースもあって。
「いやいや、この資料だけでは、きっと分からないぞ」
ということで、暫くは悩んだのだけれど、
「ぅん〜、一つの読み物として成立するものを、作ってみるか」
と、覚悟を決めたのだった。
そんなわけで、「第1編」を基に、これをより詳しく解説した「第1編(詳細版)」と、この続編の「第2編」の作成に取り組むことなった。
言ったら、昨年の8月から今年の1月末までの間、ライヴ・スケジュールがガラガラだったのも、この「今日の一曲」シリーズを含めてブログの更新がなかったのも、この間の多くの時間を、この“資料作り”に当てていたからで。実際、音楽活動に関しては、週末のミニライヴの他には、10月の「ほっと楽しやハートライヴ」という自らが企画するそのライヴに出演しただけだった。エヘヘ。
が、それほど、この“資料作り”には、きちんと向き合う必要があった。
さて、資料作りについての詳細は、またいずれ近いうちに「今日の一曲」のどこかの回で語るとして、先へと話を進めよう。
《資料作りと相性のイイ音楽》
こうして、資料作りをしていた約半年間は、日々、部屋に引きこもって作業をすることが多くなった。
特に、昨年8月から12月上旬頃までの4ヵ月あまりの間は、資料作りも主には執筆作業で、机の上のPCと、その脇に積み上げたノートと書籍の山を目にしながら、地味ぃ~に、黙々と、その作業を進めていた。
取り組み始めてから暫らくは、私の要領の悪さもあったとは思うけれど、どうも、あまり作業が捗らずにいた。
それで2ヵ月くらしてからだったと想う。執筆作業をしているその最中も、部屋に音楽を流してみることにしたのだ。それは、以前に似たようなことがあって、音楽によって状況が改善する、それを多少経験していたからでもあった。
するとだ、執筆作業中に流しておく音楽として、相性のイイものが徐々に分かってきた。お蔭で? 執筆作業も順調に進むようになった。
その“相性のイイもの”とは?
例えば、第15回(2016/12/29公開)でご紹介したバッハの無伴奏チェロ組曲、これなどはたいへんイイ。
一つの楽器を独りの奏者が奏でる、器楽曲の、そんなシンプルな音のするのが、どうやらイイのだった。
一方、休憩時間をちゃんと摂って脳みそを一旦空っぽにしたいときは、オーケストラが奏でる現代音楽作品など複雑さのある方が好い感じがした。
が、やはり執筆作業中は、シンプルなものの方が、私には相性がイイ感じがした。
ちなみに、作業の間中、音楽を部屋に流しっ放しにしておくその都合上、アナログ・レコード盤は、盤を返したり、盤に針を乗せたり、とそういったことが必要になるので、この場合は、残念ながら“NG”だ。CDの方が都合良い。
聴こえてくる音の性質としては、アナログ・レコード盤から聴こえてくる音の方が、むしろ執筆作業中においては、CDからよりも好い感じがするのだけれど、ねぇ~。
《武満徹のギター曲が聴きた~い!》
さてさて、そろそろ本題に入らねば(汗)。
その“相性のイイもの”には、バッハの無伴奏チェロ組曲の他にも幾つかあった。
そこで、「今日の一曲」シリーズ、第89回の今回は、“相性のイイもの”のうち、その一つをご紹介させていただきたく思う。
執筆作業のその4ヵ月あまりの間では、たいへんお世話になった盤だ。随分と助けてもらった。
それは、ギタリスト村治佳織のアルバム「Transformations」。
ここには、「すべては薄明のなかで」、「ヒロシマという名の少年」、「不良少年」、「ギターのための12の歌」など、武満徹がギター曲として作曲した作品、あるいは編曲した作品を含めて、全18曲が、村治佳織のそのギターによって奏でられ収録されている(うち2曲はドミニク・ミラーとの共演)。
いずれも、2004年5月27日~31日、サフォーク、ボットン・ホールで収録されたものらしい。
ただし、私が所有しているのは、2017年4月に再版されたリマスター盤の方のCDだ。
これ、私が、
「武満徹のギター曲が聴きた~い!」
と願っていたとき、
「おぉ、これなら色々と聴けそうだ」
と、やっとのことで見つけ出したCDなのだ。
あっ、いや、あの~、村治佳織のギター演奏を決して軽視しているわけではないよ。まぁ、でも、武満徹の作品、ということの方が先だったと言えば、正直、そういうことになる。
と言うのも、「すべては薄明のなかで」は武満徹作曲のオリジナルのギター曲であるし、「ヒロシマという名の少年」と「不良少年」は武満徹が映画のために書いたギター曲で、そして、「ギターのための12の歌」は誰もが知るポピュラー音楽を武満徹がギター演奏用に編曲した小品曲集で、これだけ様々に武満徹のギター曲をリストに並べてある盤は、なかなか、他には無いかと。
中でも、「ギターのための12の歌」からは、「イエスタデイ(Yesterday)」、「ヘイ・ジュード(Hey Jude)」、「ミッシェル(Michelle)」、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア(Here There and Everywhere)」といったザ・ビートルズの曲の他に、「オーバー・ザ・レインボー(Over the Rainbow)」、「ロンドンデリーの歌(Londonderry Air)」と、12曲のうちの6曲が選曲されている。
そもそも、私が武満徹の音楽に関心をもつようになったのは、20歳頃のことだ。その頃は主に、管弦楽曲などオーケストラによって演奏される現代音楽作品に関心をもっていて、ストラヴィンスキー、バルトーク、プロコフィエフ、コープランドなど、これらの音楽を好んで聴くことが多かった。そのうちに、邦人作品へも興味をもつようになって、武満徹の音楽にも徐々にハマっていった、という次第で。
が、武満徹作品でも、ピアノやフルートなどの器楽曲、小編成アンサンブルの作品、こうしたものを聴くようになったのは割と最近のことだ。ギター曲も、その幾つかを聴くようになったのはここ10年くらいで、先に言ったように、「武満徹のギター曲が聴きた~い!」とそれほどまでに思ったのは、遂、3年ほど前のことだ。
ところで、少々、話が横道に逸れるのだけれど。
実は私、いま、私の音楽活動において、その“メンター的な存在となり得る人物”を探している。砕いて言うなら、私が音楽活動を続けていく上で、モデルとなるような、あるいは目標となるような、そうした人物だ。
本当を言えば、私自身は、私にその必要があるのだろうか? とこれに懐疑的であるのだけれどね。が、ある方から、そうしたご指摘を受けてしまって・・・。ならば念のため探ってみるか、と、いま、あれこれと調べているところなのだ。
で、ここ3週間ほどで探っていた中では、現在、“武満徹”と“忌野清志郎”のお二人がその候補として上がっていて、彼らの作品を聴いたり、また、彼らが普段どんな生活ぶりであったのかなども含めて、色々と調べているところなのだ。
この件に関して最終的にどうするかは兎も角、いずれにしても、私にとって、“武満徹”なる人物は何等か大きな存在の一つである、これだけはどうやら間違いないかと。このことを、一寸、申し上げておきたかったのだ。
《ビートルズと友人の死》
そして、またまた話が飛ぶのだけれど、今度は、重大なことを一つ、打ち明けておこうかと思う。
「今日の一曲」シリーズでは、これまでに88枚の盤を紹介してきた。そして、それぞれ、その盤に収録された一曲を取り上げて、諸々語ってきたわけだけれど。その88曲の中に、「ザ・ビートルズ(The Beatles)」の楽曲は一曲もない。
その理由は一つ。
中学生時代の友人のひとり(…と私は思っていたのだったけれど)が、高校に入学して間もなく自殺をした。それっきり帰らぬ人となった。一緒に居ては、いつも私を笑わせてくれる楽しいヤツだったのだけれど。ん~。
その友人だった彼が、好んで聴いていたのが“ビートルズ”だった。
中学生の頃。私は度々彼の家に遊びに行った。彼の部屋のレコードラックにはビートルズのアルバム、そのLPレコード盤がきれいに揃えて並べられていた。そこでは、互いにたいして言葉も交わさず、ひたすらビートルズを聴きながら過ごす、といったそれが恒例だった。何故か、ビートルズを聴いているその間だけはそれが互いの暗黙のルールとなっていた。だから、私にとって、ビートルズの音楽は、彼の部屋で彼とともに聴くその情景の中にあるのが当たり前で、彼の死後、私の脳裏では、“ビートルズ”とその情景が依然合わさったままで、これがいつまでも記憶として留まることになってしまった。それは、彼の死のせいではなく、恐らく自分への後悔なのだろう。
彼がこの世を去ってからというもの、ビートルズの曲を自ら聴くことは無くなった。
というより、ビートルズの音楽、これを避けるようになった。
「今日の一曲」シリーズで、ビートルズの曲が紹介されてこなかったのは、長きに渡って、私がビートルズの音楽と関わることを避けてきたからで、実際に私の部屋のレコードラックにはビートルズの盤は一枚も無いし、ここで語るにしても、ビートルズの曲が私の体験や記憶の何かとともに絡んで現れることなど、どうあっても無かったからだ。
が、今回だけは、“ビートルズ”のこれに絡めて、もう少しだけ話を続けよう。
武満徹の「ギターのための12の歌」これ自体を知ったのは、最近とは言え、それでも10年ほど前だ。ただ、この中にはビートルズの曲も含まれているわけで。それで、どうにもこの小品曲集だけはその全部を聴けずにいた。
3年ほど前のことだ。何とはなしにテレビを点けると、ギター曲もしくはギター奏者たちを特集した番組だったのか、ギターが奏でられる映像と音が暫く続いた。そのままテレビ画面をさほど熱心に眺めるでもなく、画面に流れてくる画像と音を時折確かめる程度でその場に居ると、ふと、聴こえてきた音楽が、これまで私に呪縛のようにあったその記憶を解き放ってくれるかのように、届くのだった。
思わず、
「あっ、『イエスタデイ』だ」
と呟いただろうか。
初め、ほんの一瞬だけ自分の身体が緊張するのが分かった。が、
「えっ? 何だろう、これ、心地がいいなぁ」
と、そう想った。
それは、たった一本のガット・ギター(クラシック・ギター)から奏でられている優しく豊かな響きのする「イエスタデイ」だった。
いや、確かに、あの“ビートルズ”の「イエスタデイ」なのだけれど、何だろう、聴こえてくる音や響きが一々想像を超えて伝わってくる。音の重なり具合が、何か特別に想えた。
申し訳ないことに、ギター奏者が誰であったのか、そうしたことは憶えていない。ギターのその音と響きの重なり具合だけが、ただただこの身へと届く、その感覚しか憶えていない。
それは先も言った通り、この身に呪縛のようにあった記憶を解き放ってくれるかのような感覚で、これによって救われるような、そんな想いを抱かせてくれる「イエスタデイ」だった。
テレビから聴こえていたその演奏が停まった。
テレビ画面のそこに再び目をやると、字幕に、「武満徹・・・」とあった。
それはまた、何十年もの時を経て、ようやく、自ら、ビートルズの曲を聴くことができた瞬間だった。
そして、 直ぐに想った。「イエスタデイ」も、武満徹のギター・アレンジあってこそだったのでは? と。
こんなことがあって、
「武満徹のギター曲が聴きた~い!」
となったというわけだ。
特に、「イエスタデイ」をはじめ、ビートルズの曲をアレンジしたそれらを、是非きちんと聴きたい、と思って、これを切っ掛けに、何か好い盤があれば、と探すことになったのだった。
そして、どうにかこうにか、ご紹介の、村治佳織のアルバム「Transformations」に辿り着いた。
はい。これでこの話も、どうにかこうにか、元あったところへ戻った(笑)。
《ホント、助けてもらった》
さて、話は、“資料作り”とその“執筆作業の最中において相性のイイ音楽”、これについてだった。
“資料作り”の約半年間、そのうちの特に執筆作業をしていた4ヵ月あまりの間は、いま振り返ってみると、自分自身に向けて、自ら、かなりの緊張を強いてたように思う。尤も、書き綴っていく事柄のその性格上、緊張感なり責任感なりをもってこれに臨むのは当然のことで、むしろ、そうであるようにしていた。とは言え、当初の覚悟を遥かに超えることばかりだったのも事実で、正直に言えば、結構、たいへんだった。
もしかすると、何もなしに、自身のこの身だけでこれに向かっていたなら、それは自覚する以上に、この身へ強いるその緊張は更に大きなものになっていたかも知れない。果たして、そんなで、資料を完成させることはできただろうか。
ただ、幸運にも、この間、“相性のイイ音楽”たちが私のその“資料作り”を助けてくれた。
殊に、武満徹のギター曲たちには、緊張が高まるそれを解いて和らげてもらっていた気がする。
あの日、武満徹編曲のギター曲「イエスタデイ」は、私を、友人であった彼の死ともちゃんと向き合うように仕向けて、併せて、呪縛めいた記憶からも解放してくれた。
更に、昨年の夏から約半年の間に渡って取り組んできた資料作りでは、その扱う事柄から、彼のその死も決して無駄にできない作業となったわけだけれど、こうした状況のなか、今度は、村治佳織のアルバムに収められた武満徹のギター曲たちが、力み過ぎてしまいそうになる私を、熱くなり過ぎてしまいそうになる私を、丁度好いところへと和らげてくれたように感じる。
そして、これまで超えられなかった何かを超えさせてくれたようにも思う。
ひょっとすると、武満徹が編曲したビートルズだけでなく、ザ・ビートルズが奏でるビートルズの音楽も、徐々に聴けるようになるカモ。聴きたいと思うようになるカモ。
兎にも角にも、約半年にも及んだ資料作りのその間では、大げさでなく、ホント、助けてもらっていた感じがするのだよ~。武満徹のギター曲に・・・。
「今日の一曲」シリーズの第89回、今回は、ギタリスト村治佳織のアルバム「Transformations」より、武満徹編曲「ギターのための12の歌」を取り上げ、中でも、ザ・ビートルズの「イエスタデイ(Yesterday)」に絡めて、諸々語らせていただいた。
えっ?
「忌野清志郎」の名前を上げておきながら、これついては何も語らないの? って・・・。
確かに、そうなのだけど・・・。
これも、またの機会にしよう(汗)。
今回もまた長文を最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
(*尚、今回ここで完成させた資料は、2018年12月5日より配布を開始していますが、先ずは、普段から私とお付き合いのある方が殆んどで、広くは、2019年5月31日で2回目の開催となる「教育を語りあおうよ音楽Cafe-Barで(Vol.2)」から配布していくことになると思います。また、これ以降の各ライヴで配布する予定でいます。)
(*よろしければ、同ホームページ「子どもたちを育む『自立と自律』」のページも覗いていただけたらと存じます。)
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