今日の一曲 No.90:村下孝蔵「酔いしれて」(アルバム「汽笛がきこえる街」より)

「今日の一曲」シリーズの第90回です。

その90枚目にご紹介する盤は、私がライヴハウスへと通うようになった、ある意味その切っ掛をつくってくれた盤です。そして、ここに収められた音たちは、真に素朴であるが故に、いまもこれを聴いては、二十歳前の頃の頼りない私を絶えず支えてくれていた仲間たちの存在がいま尚有難く感じられて、当時の色々な出来事とともに、そんな記憶が甦ってきます。特に、親友の“タツヤ”と出会えたことは、よくよく考えてみると、いま私がこうして音楽活動をしている、ここへと導くその原点であったのかも知れません。

そこで、今回は、そのご紹介の盤とともに、私の二十歳前の頃の当時も振り返りながら、これらに絡めて諸々語らせていただきたく思います。

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《ピンチを迎えた次には・・・》

「ええっ、ホント?」

「待て待て、落ち着いて・・・、もう一度だ」

と自分で自分に向けてそう小声で呟いては、手に持った受験票の番号と目の前の掲示板に並んだ数字とを、二度三度、いや、何度も見比べるのだった。

が、間違いない。

「わぁ、奇跡だぁ!」

と今度は、やや声を大きくして発したかも知れない。

大学に合格してしまった。

小学生のときから“学校のお勉強”といったものがずうっと苦手でいた私にとっては、大学に合格した、これが大げさでなく、“奇跡”に感じたのだった。

暫くは興奮した状態のまま、この出来事を受け止めるだけが精一杯だった。

 

数日して、冷静さを取り戻し始めると、これもまた、ただスタート地点に立っただけのことなのだ、と気付く。すると、頭の隅をよぎるものが・・・。

「大丈夫か?」

 

不安に思ったその予感は的中した。

 

大学に入学して、5月の連休も明けると、大学での講義もいよいよ本格的なものに。

「ぅわぁ、さっぱり、わからない」

「ね、ねぇ、ここ教えてくんない?」

とまぁ、その大学の講義というものに追いついていくのが、やっとやっと。ん?  早くもツイテいけてないのだった。それで、入学して間もない頃は、私が座ったその席近くにたまたま居合わせてしまった者たちが、講義の後、私の要領の得ない質問に付き合わされるハメに。お気の毒さま。

とは言え、こんなことを繰り返していては、周りの者だって私を嫌に思うだろう。周囲の人たちを頼ってばかりもいられない。で、大学の図書館なども利用して、先ずは自分でその足りてない知識を補うようにした。

高校生のとき、私の周りには、学校のお勉強も優秀な上に気のイイ、そうした連中が常にいてくれて。私は、彼ら彼女らに助けてもらって、励ましてもらって、それでどうにかこうにか大学にも合格できたのだ。だから、大学生生活を送るにあたっては、こんな私ではあったけれど、決して無駄に過ごしてはならない、といったそれだけは強い思いでいた。

が、現実はそれほど甘くもなく、自分独りだけで解決できることなど高が知れていた。1年生の夏休み前に行われた前期試験は、散々な結果となった。

当時通っていた大学では、1年生に限り、学生の窓口となる担任がいた。後期が始まって間もなく、私はその担任の先生に呼び出された。

「このままだと、単位、取れないぞ」

といった注意を受けるのだった。

後で知ったことだけど、呼び出される学生など滅多にはいないらしい。ハハハ・・・(汗)。

 

しかし、ここでもまた、このピンチを救うものがあった。

それは、やはり、“仲間”だった。

 

1年生も後期になると、この頃には、好きな音楽について語り合うような仲間も何人かいて。その仲間たちも、私なんかよりはずうっとお勉強のできる人たちであったのだけれど、ここから少しずつ人と人との輪が拡がっていくと、その縁から、飛びっきり優秀な先輩たちとも仲良くなってしまうのだった。

そして、この素晴らしき人たちを前に私が心掛けたことは、何よりも一番に、馬鹿は馬鹿らしく、分からないことを分かったふりなどせずにいること、だった。それは、私という者が、どうしたって、遂、格好をつけたり、見栄を張ってしまう方の人間だと自覚していたからで。だからこそ、親しくなった人たちに対しては、無礼にならない範囲で、出来る限りありのままで居たい、とそう思ったのだ。それが自分にできるせめてもの誠意だと考えた。

が、不思議なもので、私がそんなふうにしていると、その仲間や先輩たちの方が私を見ていて心配になったらしく、こうした皆が、誰ということもなしに、声を掛けてくれるようになった。

「おい、いまの講義、わかったか?」

「ねぇ、さっきのあの問題、解けた?」

「図書館で一緒に勉強しないか?」

と。

有難かった。声を掛けてもらう度、それが身に染みるほど有難く感じた。

あるとき、仲間の一人が私に話してくれた。

「だって、頑張ってるのを皆が知っているからだよ。オマエ、図書館で、よく、独りで勉強してたりするだろ」

と。

私からすれば、ただ足掻いているだけであったのだけれど。なんか、勉強の出来ないガリ勉やろうみたいで恰好悪いなぁ、なんて一寸思ってもいたのだけれど。でも、ちゃんと見ていてくれてたんだぁ、とこれもまた有難かった。

 

“ほらね”、私の場合、ピンチを迎えると次にはラッキーなことに恵まれる、のだよ。

そして、そのラッキーは、大抵の場合、“人との繋がり”や“仲間”から始まる。

(*「ほらね」は、第88回(2019/03/17公開)でも同じようなことを書かせていただいた経緯からです。)

 

皆が声を掛けてくれるから、またこれも無駄にしないように、と思うわけで。自ずと自分でも、皆から教えてもらったり与えてもらったりしたこれを確かなモノにしよう、と必死になる。

こうして、相変わらず友人や先輩たちの力を借りながらではあったものの、が、こんなふうにこれを続けていると、自分でも、大学で学ぶ、そのコツみたいなものが徐々に分かってきたのだった。

そのうちに、講義にもついていけるようになって、1年生の後期試験では、前期試験のその分も取り返すことができたみたいで。結果、1年生で取るべき単位は全て修得した。まぁ、当たり前だと言われれば、その通りなのだけれど、ね。エヘヘ。

 

《親友のタツヤとライヴハウスへ》

さて、そんな音楽を語り合う仲間や親切な先輩たちとも出会うなか、特に気が合ったのが、同じ学年にいた“タツヤ”だった。親友、と呼んでいいだろう。

(*第24回(2017/03/05公開)で紹介したビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」を薦めてくれたのも“タツヤ”でした。)

タツヤは、ギター(アコギ)を弾くのを趣味にしていて、そのギター・テクニックは、結構イケてた方であったのではないだろうか。そしてそんな彼は、幅広く色んな音楽を聴いてもいたのだけれど、中でも、岡林信康や吉田拓郎など日本のフォークが好きで、これらに関してはやたらと詳しかった。

 

大学2年生になってからだった。

ある日、タツヤが、

「ライヴハウスに行ってみない?」

と言ってきた。

それまでは、生の演奏を聴くとなると、クラシック音楽のコンサートやリサイタルを聴きに行くといったことの方が多くて、稀に、南こうせつや松任谷由美のライヴにも行ったことはあったけれど、どれも、コンサートホールを会場に聴くものばかりで、当時はまだ、ライヴハウスなるところへは行ったことがなかった。

「村下孝蔵・・・だけど」

と言いながら、タツヤは2枚のチケットを見せた。私が断わるはずなどない、と思っていたらしい。もしも私が予定を入れていたなら、そのチケットはどうするつもりだったのだろうか。いや、そんなことはこれっぽちも考えていなかっただろう。このあたりが、タツヤのその、人の良さ、だ。

「村下孝蔵!ぅんぅん、行ってみたい!」

と即返答、直ぐに決まった。

もちろん、チケット代はタツヤに支払った。

 

何処のライヴハウスだったか、ん〜、憶えていない。新宿の西口方面に出たような・・・。50人も入ればいっぱいになる小さなハコ(ライヴハウス会場)だった。

そこで、1ドリンク、たぶん、ジンジャーエールだったと想うけど、それだけを注文して席に着いた。

 

と実は、この数ヶ月前。タツヤから、村下孝蔵っていいかもよ、という話を聞いて、私はこれに少し乗せられて、村下孝蔵のファースト・アルバムを買っていたのだった。併せて、村下孝蔵なるミュージシャンがCBSソニー主催のコンテストでグランプリを取った、といったこともタツヤからの情報で知っていた。

アルバムを聴いては、声の深さや伸びやかさ、先ずは、歌が上手いなぁ、といった印象をもった。歌詞やメロディなど曲自体は、古き昭和のフォーク?あるいは歌謡曲風?に思えた。当時のあさはかな若ぞう(=私)の耳には、正直、時代にやや乗り遅れているようにも感じられたのだけれど。が、その歌詞やメロディから受ける素朴さは、何故か心地好く耳に残る。胸のうちにそっと柔らかく入り込んでくる、何か心の拠りどころとなるような感じの音楽にも思う、それもまた確かだった。

 

そろそろ開演かな、という時刻。前方の、やや小さ目なステージには、体格のガッチリとしたやや大柄な感じのする人がひとり、アコースティック・ギター1本だけを持って現れるのだった。

村下孝蔵、だ。

ステージ中央に置かれた椅子にゆっくり腰掛けると、そのギターを構えて見せた。

ライヴが始まった。

そして、つま弾かれたギターの音を聴いた途端だった。

「うぉ~、まったく違う!」

「歌もだけど・・・、ギター、ギター、ギターだよ!」

「すっげえ、上手い!」

と叫びまくりたくなる我が心の内を、外に漏れないようにする、もうそれに必死だった。

ちなみに、当時の私は、まったくギターなんぞ弾けはしないのだった。そのクセ、そう思ったのだ。ま、でも、それほど、凄い!と思った、ってことだ。

村下孝蔵の歌声とギターから奏でられる音のその凄さに、ただただ圧倒されるばかりだった。これが、本来の村下孝蔵の音楽なんだ、とそう思いながら、もう感動しっぱなしだった。

 

90分ほどのライヴは、あっという間だった。

ライヴハウスを出た後も、きっと、タツヤとは互いに興奮して語り合ったに違いないのだけれど、その興奮してた記憶ばかりがあって、他は何も憶えていない。ハハハ。

 

《酔いしれる、大人かぁ~》

ライヴから数日後。私は、その既に持っていた村下孝蔵のファースト・アルバム「汽笛がきこえる街」を、あらためて聴き直してみたい気になった。そして、盤に針を置いた。すると、当然のことながら、そこから聴こえてくるものが明らかに違って感じた。

ライヴで聴いたそれこそが源であり原点である、との思いでこれを聴くと、確かに、このアルバムに収められている音は様々にアレンジもされて幾つかの音によって足されてはいるけれど、ここから聴こえてくる音や響きが、私の頭の中ではライヴで聴いたそれとも相まって、村下孝蔵の音楽がもつ素朴さがより一層繊細に、が、豊で包容力に満ちた音に感じるのだった。

 

この村下孝蔵のアルバム「汽笛がきこえる街」は、彼が正式にメジャーデビューした後にリリースしたファースト・アルバムで、私が持っているのは、当時の、1980年7月に出されたLPレコード盤だ。

このアルバムには、1980年5月にシングル盤曲として発売された、そのシングルA面曲の「月あかり」と、同じくB面曲の「松山行きフェリー」を含めて、全10曲が収録されている。

 

ところで、当時の私の脳裏においては、アルバムのB面2曲目に収録されている「酔いしれて」が最も多くリピートされる曲となった。ライヴに行ってからは余計にそうだったような。

当時は私もまだ二十歳前の若ぞうでしかなく、そんな者に分かるはずもなく、それはあくまでも想像でしかなかったものの、大人の“酔いしれて”いく姿とその心情には幾分か背伸びしてでも味わってみたいような、そんな気になっていて。聴こえてくる村下孝蔵の歌声に取り敢えずはその想像だけを膨らませて、これに心地好く“酔いしれて”みるのだった。そして、自分にも、何時かこんな大人な時がくることを期待しながら、その想像を繰り返すのだった。

その頃はまだ、大人社会の複雑さに気付いていないからねぇ~。アハハハハ・・・。

 

村下孝蔵のそのライヴに行ってからは、アルバイトで貯めたお金にも少し余裕があると、ちょくちょくライヴハウスへと出掛けるようになった。もちろん、タツヤを誘ってだ。

行く度に、これはライヴハウスでしか聴けない、と思えるような音と出会う。それを、面白い、と思うからまた行きたくなる。

社会人になってからは様々事情もあって、一旦は、ライヴハウスへ行くことも少なくなってしまうのだけれど。そうした間も、どうにか時間を作っては時折、ライヴハウスでしか聴けないその音を愉しんだ。ライヴハウスで音楽を聴く、というその時間は、いつの間にか掛け替えのない大切なものになっていた。

 

いまに至って当時のことを思うと、村下孝蔵のライヴをライヴハウスという場で聴いたそれと、彼のファースト・アルバム「汽笛がきこえる街」を聴いたそれは、その両方の音の聴き方を教えてくれる、そんな切っ掛けになったように思う。

ライヴハウスで聴く音、コンサートホールで聴く音、アンログレコード盤から聴く音、CDから聴く音、などなど、それぞれの音の世界にはそれぞれに愉しみ方がある、と。

そして、いま、私自身は、音楽を届けるそのステージに立つ側の者でもあるわけだけれど、私をここへと導いたその原点は、よくよく考えてみると、もしかしたら、“村下孝蔵”の存在これであったのかも知れない。

ん? いや、それを言うのなら、親友とも呼べるタツヤと出会えたからこそだ。素晴らしき仲間や先輩たちと出会えたからだ。

 

さてさて、結局、私めはアルコールには向かない体質だったようで、お酒をじっくりと味わうような大人にはなれなかった。トホホ。

実体験としての“酔いしれて”は、いま尚も、その感覚を味わったことがない。

たま~に、ビールで乾杯!なんてくらいはあるけど、ジョッキ半分くらいで十分だ。直ちに眠ってしまうか、具合が悪くなってトイレに駆け込むか、そんなのがオチだ。

あぁ~あ、日本酒や焼酎でじっくりと呑み味わいながら、“酔いしれて”みたかったなぁ~。

 

タツヤは、依然、行方知れずのままだ(*第24回に書いた通りです)。

だけど、タツヤなら、“酔いしれて”を味わえている大人になってそうだなぁ~。そう、ときどきギターを奏でながら昭和のフォークでも口ずさんでいるかも。

 

「今日の一曲」シリーズの第90回、今回は、村下孝蔵のアルバム「汽笛がきこえる街」より、「酔いしれて」を取り上げて、諸々語らせていただいた。

 

長文を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

心より感謝申し上げます。

 

<追記>

タツヤ様へ

どこかで、このブログのことを知ったらご連絡いただきたい。

親友より