「今日の一曲」シリーズの第92回です。
春ですね~。街で見かけるピカピカの一年生・新人の方々の初々しい姿もまた、届く春の日差しとともに眩しい季節です。
それで、ふと、想い出してしまうのですよね。社会人としてスタートしたばかりの駆け出しだった当時の自分を。
そしてこれを、いま現在に至ってなら冷静に振り返って見つめ直すこともできるわけですが、まぁ、それでも、色々とあり過ぎた波乱に満ちた道のりだったなぁ、と思う次第で。
ということで、今回、92枚目にご紹介する盤とそこに収録された一曲は、“新社会人の皆さんへ贈るエール”その意味も込めて、私がまだ社会人として駆け出しだった当時に少々特別な想いをもって聴いていた音楽を、と思います。
では、これに絡めて、いつものように諸々語らせていただきます。
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《4月、視線を向けてしまう先》
暖かくも感じられるようになった日の光とそよ風のこれを受けながら、ふらり、街中を歩いていると、それが何とも目立って見えて、遂、暫く、視線をそっちへと向けてしまう。
視線の先に映る彼ら彼女らを眺めては、それは着ているスーツも、そこから下げられているバッグやらカバンもで、
「まぁ~、何故こうも似合わないんだろうなぁ~」
と、思わず声にして感想を漏らしてしまいそうになる。
ん? 僅かにでも声に出しているかも知れない。
そして、この季節特有の、その微笑ましくもあるそんな光景を眺めては、
「4月だねぇ~」
と、これもまた、ひょっとすると、さっき思った感想と一緒に声になって出てしまっているカモ。
「おっと、いかん」
と呟いてしまってから気付いても、もう遅い。
我ながら、これは“怪しいオジさん化”が進行している証拠だ、とそう自覚する他ない。
トホホ。
だからなのか、幾分ぎこちないその彼ら彼女らの姿がより一層眩しく映る。
で、また、遂、暫く、視線をそっちへと向けてしまうのだ。
ところで、念のため申し上げておくけれど、私としては、こうした光景を俯瞰的に眺めながらも、これを決して冷ややかな態度で見ているわけではなく、むしろ、初々しい彼ら彼女らを心の底から心配をし、応援をし、どうかよき新人時代を築きますように! と願ってのことで、出来れば読者の皆様にはそうご理解いただきたく思う。
だって、私めの社会人としてのスタートは散々だったから。
《社会人1年目に就いた職場》
そこは、十分に一人前の大人であるはずの人間たちが集まっているにも関わらず、自分らにとって都合のいい主張だけをし合って、その仕事が果たすべき役割のためでなければ目的のためでもなく、将来に向けて何の意味も成さないような、そんな身勝手な派閥争いばかりを繰り広げて日々明け暮れる、そんな職場だった。
しかも、どちらの派閥にも属することを嫌った若ぞう(=私)を干して追い出してしまおうなどと、こうしたことを平気でするのだから、
「世の中、なんて理不尽なのだろう!」
「この業界で働く大人たちがこんなことをして許されるのだろうか?!」
と、それはどうしたって毎日、その怒りや虚しさ、無念に思う感情のこれらを含んだ言葉を叫ばすにはいられなかった。
ただし、誰も居ない自分の部屋に帰ってからそうした。顔をクッション布団に思いっきり埋めながらね。
もちろん、自身の未熟さもそこにはある、とそうも承知していた。
が、自身のそうした未熟さを考慮に、たとえ、自身の未熟さのこれを、職場で繰り広げられる派閥争いや理不尽な事のあれこれのそこから、多く余計に差しい引いたとしても、依然、悔し過ぎて、痛過ぎて、噴き出してしいましそうになる怒りの感情を何とかして抑え込むための“その苦しさしか残らない”。・・・ただそれだけの社会人1年目だった。
とまぁ、いま現在に至って当時を冷静に振り返ってみても、少々荒げたこんなふうな表現になってしまう。
でも、それほどだったのだ。
実際、社会人1年目を終えたところでは、そこから干されてしまった。
それで仕方なく、社会人としての2年目は、アルバイトを3つ、時には4つを掛け持って生活していた。
《畏るべし!その1》
そんなアルバイトを3つ4つ掛け持っていた、秋頃だったか? ん〜、もう冬の時期に入ってた頃だったか。
アルバイト先からまた次のアルバイト先へと移動する間の自分で運転する車の、そのカー・ラジオからだった。
♫
飾りじゃないのよ涙は HAHAN
好きだと言ってるじゃないの HO HO
真珠じゃないのよ涙は HAHAN
きれいなだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は HOHOHO
♫
世間では“アイドル歌手”とそう呼ぶ、ある一人の歌手がその独創的な歌詞を印象的なフレーズ感をもって歌い上げている、これが、ふと耳に飛び込んできた。
そして、“これまでとは異なる路線を歩み始めたの?” といった感想をもった。
それは、それまでの“アイドル歌手”と呼ばれるこの人たちから受ける固定観念を覆す、そんな何かを感じたからだった。
中森明菜、10枚目のシングル。
作詞・作曲は、井上陽水。
こう言っては何だけれど、私は彼女のファンというわけではない。
ただ、中森明菜、彼女のその歌声・声質についてはこの何年も前から関心があった。彼女がデビューしてから間もなくのうちにはそうだったと思う。
「彼女の歌声・声質に、もっと合った楽曲があるはずだ」
とね。(*楽曲を提供されていた方々にはお詫び申し上げます(汗)。)
素人が偉そうに、と確かにそうであるのだけれど、音楽評論家のようなそんな批評めいた感想を内に秘めながら、でも、彼女についてはもっと才を活かせる道(方法)がある、とそう期待していたのだ。
まさに、井上陽水によるこの曲を彼女が歌う前までは。
♪
私は泣いたことがない
灯りの消えた街角で
・・・・
私 泣いたりするのは違うと感じてた
♪
そして、「飾りじゃないのよ涙は」というタイトルが付いたこの楽曲を一度聴いてからは、偉そうなその音楽評論家(=私)も、コレだよ、コレコレコレ、と感激して、彼女が歌うこの曲を好んで聴くようになった。
中森明菜なる歌手のその歌声・声質も、彼女にあるエンターテイメント性も、これらすべてが十分に発揮されていると。
井上陽水、畏るべし!と。
エヘ、やっぱり偉そうだね。
申し訳ない(汗)。
《畏るべし!その2》
それから時が経過してその翌年の年末だった。
井上陽水がセルフカバー・アルバムとして出した「9.5カラット」が、レコード大賞・アルバム賞の大賞を受賞した。
今回、「今日の一曲」の第92回としてその92枚目にご紹介する盤はこれだ。
もちろん、当時のアナログ・LPレコード盤だ。
このアルバムについてここであらためて確認したところ、リリースは1984年12月で、アルバム賞の大賞受賞は1985年の年末とある。
私がこの盤の存在を知ったのはその受賞の後だった。だから、現在この手元にあるLPレコード盤これを実際に手にしたのは、1986年の年明けか、更にはそれより後のその年の春間近な頃であったかも知れない。何となく? だけれど、年度末近くの2月末から3月頃だったようなイメージ(あまり当てにならない記憶)がある。
でも、買った場所だけは確かで、自宅近所に在った、例の、物静かそうなオジさんが独りで営んでいるレコード店のそこへ行って、この盤を購入した。
インターネットもまだまだ一般家庭までには普及していない当時においては、余程、自らが情報を掴みに行かないと、気付かずに、知らないままでいることも多かった。
そんなわけで、当時は、アルバム「9.5カラット」を自身で初めて手にしたところで、この曲も収録されているんだぁ、と知った。
買ってきたばかりのLPレコード盤を、レコード・プレーヤーの上に乗せて、そして針を置く。
B面の2曲目へと針が進むと、「飾りじゃないのよ涙は」が、もちろん井上陽水が歌うそれが、ナチュラルにすうっと我が耳元へ、また鼓膜へと届いた。
♬
飾りじゃないのよ涙は HAHAN
輝くだけならいいけど HO HO
ダイヤと違うの涙は HAHAN
さみしいだけならいいけど
ちょっと悲しすぎるのよ涙は
・・・・
♬
が、これまで感じていたはずの、その独創的な歌詞と印象的なフレーズ感が特別に際立ったようには聴こえてこない。この盤から聴こえてくるこれにはそういったものを感じない。
むしろ、まったく自然体のまま、当然のように伝わってくる。
それだけに、また思ったのだよ。
井上陽水、畏るべし!と。
ちなみに、だけれど。
井上陽水の音楽を一寸ばかり熱心に聴くようになったのは、我が同年代・同世代の中ではかなり遅い方かと思う。
切っ掛けは、大学生の頃に借りていた4畳半一間のアパートのそこからすぐ近くに在った食堂の、その食堂のオバちゃんだった。この人が井上陽水の大ファンで、ここからの影響に依る。
つまりは、井上陽水の音楽を自ら好んで聴くようになったのは20歳くらいになってからで、井上陽水のこのアルバム「9.5カラット」に収録された「飾りじゃないのよ涙は」を聴くまでには、謂えば、たった5~6年程しか経っていない。
このオバちゃんのように、“真の井上陽水ファンだ”と言えるそうした方々からすれば、私なんぞは“赤ん坊”ほどのものでしかない。大して知っているわけではない、ということだ。
その割には、偉そうに語っているけどね。
エへへ(汗)。
《彼女が歌うこれも、彼が歌うこれも》
~どん底のときも、ここから這い上がるときも~
さて、大学卒業後、社会人としてそのスタートを切ると、そんな訳で、早々にコケてしまった私。
社会人としての2年目は、言わば、“どん底”だった。転んでしまったこの身をなんとか持ち上げようと、正直、もがいているときでもあった。
そんなとき、中森明菜が歌う「飾りじゃないのよ涙は」は、彼女がもつ才や魅力をこれ以前までのものとはまったく異なる方向から表現して魅せていた。歌はもちろん、楽曲とともに彼女がその全身を以って表す動作や姿までもが印象的で、衝撃的で、独創的に感じられた。またそれが、生きる逞しさを届けてくれた。だから当時は、抑え込むようにして抱えていた怒りや悔しさ、痛みの、すべてを吹き飛ばしてくれ~!といったこれにも応えてくれそうに想えて、そんな感情も一緒にぶつけながらこれを聴いていた。
社会人としての3年目。
私は、1年目の最初に勤めたその職場に復帰が許されて、そこに居た。
これについては、次回にまた詳しく語ろうかと思うのだけれど、その職場の現場責任者トップが替わった、このことが何より大きい。そして、新しく赴任してきた現場責任者トップに就いたこの上司が、まぁ、スゴイ人で、それは“救世主”とも呼びたくなるような人物との出会いとなった。早速、職場のあれもこれもが“救世主”によって改善されていった。
そして、社会人4年目を迎える頃。
“救世主”の如く現れた上司の下、約1年が経過しようとしていたこの頃には、私自身もまた、充実した日々のこれを掴み始めていた。“社会人としてやっとスタートラインに立てたぁ!”とそういった実感も湧いてきていたときだった。
だからなのだろう、アルバム「9.5カラット」の、この盤から聴こえてくる井上陽水が歌う「飾りじゃないのよ涙は」は、当時、私よりもずうっとずうっと大人な、そんなメッセージを含んでいるように聴こえた。失敗を恐れずに自然体なまま思いっきりチャレンジしてみろよ、とそう私に言って、私の背中を押してくれているかのように。ただし、かつて経験した、悔しさや痛みを感じていたその頃の、クソったれぇ~負けねぇぞ!(下品な言葉で恐縮です)といった、そんな逆境から這い上がるときのエネルギーも忘れるんじゃないぞ、とそう教えてくれているかのようにも想えて、そんなパワーをもらいながらこれを聴いていた。
《軸とすべき物差し》
更に数十年が経過して、いま現在に至っては、地球上で半世紀を優に?超える年数を生きてきたわけで、ここには“怪しいオジさん化”も進みつつあるのだけれど(汗)。
しかしながら、その分、少しは冷静に当時を振り返ってみることもできて、あらためて再度、丁寧に振り返ってみて思うことは、・・・社会人1年目のときに、派閥争いや理不尽な事のあれこれが起こるその職場で、“争い合うそのどちらの派閥にも属さないでいる選択”、“当たり前に本来の職責を果たすこれを目指していく選択”、こうした選択をしておいて本当に良かったなぁ~、ということだ。
当時は、これを誰かに悩んで相談しても、
「長いモノに巻かれちゃいなよ」
などのことを言ってくる人の方が多かった。
だけれど、“どちらの派閥にも属さない”、“職場から干されそう”になっている、そんな不器用にしか立ち回れない私を陰でそっと支え応援してくれる人も居て、それは少数の人だけだったけれども、常にちゃんと居てくれて、後々、その支えてくれた仲間たちがとても大きな力を貸してくれるわけで、そこへも繋がることとなる。そうなのだよ、この仲間たちのお蔭で、私は“救世主”とも言うべき上司と出会えるその幸運にも恵まれることになる。
ただその前提として、一つ大切なことを感じる。
それは、先に言ったような、どういった選択をするのか? これを導くための“物差し”だ。
勿論、当時においては“未熟さ”も”ひ弱さ”もあった私だけれども、自身の内の奥深くでは、自分自身で“軸”とすべき最低限の“物差し”、これだけは持っていたのかなぁ~と。
その“軸とすべき物差し”だけは、どんな状況にあっても決して欠かさなかったように思う。
確かに、“物差し”は、自身の視野を狭くしてしまわないためにも、一つでなく、色々に、幾つか、これを持っておく必要がある。
でも、これを最も大切にするんだ、という“軸とすべき物差し”を、その中に持ち合わせておくことも必要に思う。
それで、またまた思ったのだよ。
当時、「飾りじゃないのよ涙は」を聴いていては、中森明菜のそれからも、井上陽水のそれからも、「飾りじゃないのよ涙は」の“涙”を自分自身の奥深いところにあるその“軸とすべき物差し”に置き換えて聴いていたのかも知れない、と。
その“軸とすべき物差し”だけは決して“飾り”であってはならない、とまぁこんな具合にね。
さて、“新社会人の皆様へ贈るエール”となっただろうか?
「今日の一曲」の第92回、今回は、井上陽水のアルバム「9.5カラット」から「飾りじゃないのよ涙は」を取り上げて、ここに、中森明菜が歌うこれと、井上陽水のこれとを併せて、諸々語らせていただいた。
では、新社会人の皆様へ。
あるいは新社会人ではなくても、何か新しいことに挑もうとしている皆様へ。
私なりのエールを。
「私のような嫌な目だけには遭わないよう、よき新人生活を!」
「あなた自身が真から望むような、新しき挑戦を!」
長文を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
感謝申し上げます。
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