今日の一曲 No.94:モーツァルト作曲「クラリネット五重奏曲 KV581」(レオポルド・ウラッハ & ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団)

「今日の一曲」シリーズの第94回です。

「今日の一曲」ではこれまでも3回(第19回、第45回、第72回)、クラリネットを主とした楽曲を取り上げて、これらの回ではその度ごとクラリネットに関する様々を、私にしては珍しくその蘊蓄らしきことも含めて語らせてもらってきたのですが、その割には、いやいや、この曲をご紹介していなかったとはっ、全くもって、うっかりしておりましたぁ~。

そこで第94回としてご紹介する一曲は、クラリネットが主役となっている作品の中でも決して外せないであろう、そんな一曲を。これを、我がふところ具合を気にしながら少々無理をして購入したLPレコード盤からご紹介させていただきたく思います。

では、その盤のここに収録された一曲とともに、今回もまた、諸々語らせていただきます。

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《イントロダクション1》

~クラリネット愛と社会復帰~

これまで「今日の一曲」シリーズでは、但しこれについては、大抵の場合、クラリネットを主とした楽曲をご紹介しながらの回に限りそうであったかと思うけれど、私にしては珍しくその蘊蓄らしき事柄も含めて語らせてもらってきた。

それら事柄というと、“クラリネット奏者であるカール・ライスターの演奏について”、“クラリネットにはフランス式とドイツ式があること”、“クラリネットは管楽器で唯一その閉管の特性をもっていること”、“B♭とAを基準にしたクラリネットがあること”、“クラリネットには小クラリネットやアルト・クラリネット、コントラバスなど7種類ほどあること”、そして、どこかの回では、「私はクラリネットのような人になりたい」などと他人様からしたら訳の解らないことを申し述べて、その“クラリネット愛?”についてまで語らせてもらってきた(汗・笑)。

 

が、今回は、先ず、第72回(2018/02/20記載)で書かせていただいたこれを少しだけ振り返った後、それから本題へと入らせていただくことに。

 

そこで、“再度病状を悪化させてしまった2007年から約1年半もの間の、完全に社会からリタイヤしてしまっていた”その頃とそれから後の話になる。

まぁ、でも、この2007年からの約1年半の間のことは、他の回でも何度か書かせていただいているので今回は省くことにして。

それはどうにかこうにか、というような感じではあったけれど、何んとか社会復帰を果たして、身体的にも精神的な意味においても、

「これでやっていけそうだな!」

と、自分の心の内にそう言い聞かせながら、それでもそこそこ自信を取り戻しつつあった2009年のある日のこと、ここから話を進めさせていただきたく思う。

 

あぁ、だから、そうだね、病状に関わる事や、さほど神妙に構えるような話にはならないので、ご心配なく。

気楽にお読みいただけたらと。

 

《イントロダクション2》

~中古レコード店巡り~

その日は、正午前からほぼ一日を掛けて“中古レコード店巡り”を。

「気持ちイイなぁ~」

と、言葉として声に出したかまでは定かではないけれど、新緑も映える季節の、よく晴れた日だったことだけは確りと記憶している。

我が住む街から電車で約1時間、三鷹へ、それと、吉祥寺へ。夕方の時間帯になってからは、更に電車で20分ほど移動して、下北沢へと、順々に散策を兼ねて、これら各地域に点在する中古レコード店のその各店を隈なく巡った。

 

こうして巡るうち、下北沢の、或る中古レコード店で出会ったのが、今回、「今日の一曲」シリーズの第94回としてその94枚目にご紹介する盤だ。

これ、第72回(2018/02/20記載)でご紹介したブラームスの曲を収録したその盤と一緒に、我がふところ具合を心配しながら、でも、少々無理をして購入した盤なのだよね~(汗)。

はい、もちろん、いずれの盤も、LPレコード盤だ。

エヘヘ(・・・この「エヘヘ」は、アナログレコード盤を購入して、喜び、はしゃいでいる心の内を表している(笑))。

 

購入したこの2枚の盤は、ともに、クラリネット奏者「レオポルド・ウラッハ(ヴラッハ)」と「ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団」による演奏を収録した盤で、きっとこの組み合わせをシリーズとして出版した盤なのだろう。

つまり、店内にいる間にそれに気づいてしまって、それなら、と、ぅん〜、社会復帰したばかりの経済事情を気にしながらも、少々無理をして、この2枚を同時にまとめて購入したのだった。

とは言うものの、このときは確か?店内のラックの別々のところにあったこの2枚を偶然にもたまたま探り当ててのことだったような、そんなふうに記憶している。

そして、ここから時がだいぶ経過して気付いたのは、ジャケットには通し番号と思われる数字が記載されていて、どうやらこのシリーズの盤は少なくとも他にあと1種類あるようだ、ということ。もしもその日更に店内のラックを丁寧に探っていたなら、もう1枚見つけられたかも知れない。もっとも、他の人がそのもう1枚を買った後だったかも知れないし、そもそも入荷されていなかったかも知れないし。もっと言えば、3枚をまとめて買うだけの余裕が私のふところにあったのか?と問うならば、・・・だよねぇ~(汗)。

 

さて、第72回でご紹介したのはブラームスの「クラリネット五重奏曲」だったけれども、今回ご紹介するもう1枚の盤は、モーツァルト作曲の「クラリネット五重奏曲 KV581」で、1951年に録音がされて、1976年に再版されたLPレコード盤だ。

(*第72回でブラームスの方の盤を1951年の録音と記載してしまったのですが、こちらは1952年の録音でした。すみません。)

 

《貴重なその機会に巡り会えて》

ところで、この事も、「今日の一曲」を通じてはこれまでも何回か書いてきたことだけれど、・・・私にとって、クラシック音楽と呼ばれる類の音楽は、叔父からの影響が多分にあって、もう幼少の2~3歳頃から聴いていたらしいのだけれど(自身の記憶では4歳くらいからになるかなぁ)、また、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといったこれら古典派とされる作曲家の楽曲は一般的に言えばクラシック音楽の中でも小・中学校の音楽の授業なども含めて比較的耳にする機会のある方のものかと思うのだけれど、その割には、私の場合、特に中学生くらいまでは、これら古典派とされる作曲家の作品を自ら好んで聴いていたということは記憶として殆んどなく、実際、聴いた作品も僅かであったように思う。またそれは、いま現在に至っても幾分か増えた程度で、知り得る古典派の作品は限定的であると言わざるを得ない。

 

が、モーツァルトのこの作品は、私にとって、かけがえのない一曲と言える。

高校1年生のときだ。それは当時において東京の田舎方面に住むその私にとっては、そうそうない貴重な機会に恵まれることとなった。電車で僅か数十分ほどで行けるそんな近くの、或る市民ホールで、日本のクラリネット奏者の第一人者の一人とされる村井祐児さんのリサイタルがあって、しかも、運良くそのチケットが手に入った。このときのプログラムのメインがモーツァルトのクラリネット五重奏曲であったのだ。

もしも、この機会に巡り会っていなかったなら、その生演奏を聴いていなかったなら、そしてこれによる感激を知らなかったなら、大げさかも知れないけれど、クラリネットという楽器をこれほどまでに好きになって、これまでに語ってきたようなクラリネットに関する蘊蓄めいたこれにも繋がるかも知れない事柄の、そんなことまでを知ろうなどとは考えもしなかっただろう。

そして先に、古典派の作曲家の作品はあまり知らない、とそうは言ったけれど、モーツァルトだけでもざっくりと10作品くらいは直ぐに頭に浮かぶくらいではあるから、たとえこの程度であっても、古典派の作品もまあまあ聴くようになったということは、このときのリサイタルの印象とここから受けた影響のこれがそれだけ大きかった、と言えると思う。

ちなみに、モーツァルトのクラリネット五重奏曲が収録された盤だけで、LPレコード盤とCDを合せて4枚持っているのだから、その好きさ加減はお察しいただけるかと。

 

《この盤ならではの愉しみ》

ここで、ウラッハのクラリネットとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の演奏について、その印象を少し語らせていただきたく思う。謂えばこれも、第72回でご紹介したブラームスの作品から感じたことと若干重なってしまう部分はあるけれど。

そもそも、ウラッハも、弦楽四重奏団のメンバーも皆、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員として演奏を行うこれを土台に活動をしていた演奏家たちだ。だからなのだろう、伝統的にも感じられる(私なんぞが簡単に「伝統的」などと言えるような伝統ではないことは十分に承知しているけれど)その素朴な音色とアンサンブルの響きに、先ずは惹きつけられる。勿論、テクニックの高さもこれが確かであることは、この盤に収録された演奏を聴いていては当然のことながら直ぐにでも分かる。が、テクニック的な方が際立ってしまっていたり、上手さだけが勝って聴こえてくるものでは決してなく、あくまでも、温かく、優しく、何よりも、“ほっとさせられる音たち”に聴こえてくる、といったところが彼らこのアンサンブルの魅力に感じる。

あとは、ここに加えて語るなら、演奏のテンポ(速さ・遅さ)だ。

同曲の他の3枚の盤に収録された演奏家たち(カール・ライスターなども含めて)の演奏と比べても、そのどれよりも4つの楽章全てでテンポが幾分かやや遅めである。

特に第2楽章は、ゆっくりとした、Slowなテンポであることが楽譜上においても指定されてはいるのだけれど、それが分かっていたとしてもだ、

「わぁ~、ゆっくりだなぁ~」

とそう思ってしまうほどの遅いテンポで、あるいは言い方を変えても、“たっぷり過ぎるほどのテンポ”で演奏がされている。

もしも目の前に演奏メンバーが居たなら、

「これって、これ以上に遅くしたらアンサンブルが崩壊してしまう、そんなギリッギリッのテンポですよね?」

と、思わず、その場で質問と確認をしてしまいそうだ(笑)。

が、このゆったり感のある演奏を可能にしているものは、やはり、伝統的とも言うべきその素朴な音色と確かなアンサンブル力によるその響きがあってこそ、と想えてくる。

なんとも心地好く、心の奥底から和らぐ、そんな第2楽章なのだ。

他の楽章も、確かにそこでは第2楽章よりも軽快さや歯切れの良さといったことも加わって、それを感じたりもするけれど、それでも、総じて、さほど速度的な忙しさなどない、むしろ、温かく包容力のある演奏に思う。

 

それだからだと思う。ここ最近では、モーツァルトの「クラリネット五重奏曲 KV581」も、レオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の演奏を収録したこの盤を聴くときは、盤に針を乗せるその前に、ちょっとした準備をしたくなってしまう。

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カリカリカリカリ・・・と。

そんな音をさせて、自分の手で豆を挽く。

じっくりとドリップして、自分のためにこれを淹れる。

ふぅ~ん、贅沢。

っというのは、珈琲のこと。

これがホントの「ウィンナー珈琲」ってね、御あとがヨロシイようで(汗・笑)。

 

はいはいはい、馬鹿にして、苦笑していただいて結構。

これでも自覚はしている(笑)。

 

「今日の一曲」の第94回、今回は、モーツァルト作曲「クラリネット五重奏曲 KV581」を、レオポルド・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の演奏を1951年に録音、1976年に再版されたLPレコード盤の、これからご紹介させていただき、諸々語らせてもらった。

 

長文を最後までお読みくださいました皆様に、恐縮な思いとともに、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。